2季目のリーグワンが開幕しました。12月17日、昨季王者の埼玉パナソニックワイルドナイツ(埼玉WK)は本拠地・熊谷ラグビー場で東芝ブレイブルーパス東京(BL東京)に22対19で競り勝ちました。活躍が光ったのは、この日が7カ月ぶり公式戦復帰となったスタンドオフ松田力也選手でした。
試合は埼玉WKが前半19分まで0対13の苦しい展開でしたが、後半、一気に試合をひっくり返しました。一時逆転となるトライをあげたのが松田選手でした。12対16と4点ビハインドの後半15分。敵陣10メートルライン付近、センターのディラン・ライリー選手からパスを受けた松田選手の前にスペースが生まれました。「ここは勝負」と判断し、ディフェンスラインの間をスルリと抜け出します。ギアを上げ、約40メートルを走り切りました。「ケガをする前よりも自分の体と向き合い、いい状態になっている。昔だったら走り切れてなかったと思う」と松田選手。
埼玉WKは後半20分にPGで追いつかれたものの、最後は途中出場のスタンドオフ山沢拓也選手がPGを決め、22対19と再びリード。BL東京の猛攻に耐え、3点差を守り切りました。
先発出場した松田選手は山沢選手と交代する後半22分までプレーし、1トライ2ゴールの活躍で勝利に貢献するとともに、自身の復活をアピールしました。試合後の記者会見では感慨深げに、こう語りました。
「この熊谷のホームグラウンドで復帰できたことをすごく嬉しく思いますし、その感謝の思いを持ってプレーしようと思っていました。まず何より試合に勝てたことが素直に嬉しいですし、ここからまた(調子を)上げていきたい」
松田選手は7カ月前、リーグワンのレギュラーシーズン最終節(クボタスピアーズ船橋・東京ベイ戦)で、開始3分にケガで途中交代を余儀なくされました。検査の結果、左ヒザ前十字靭帯断裂。その後のプレーオフ2試合(準決勝、決勝)はおろか、夏と秋の日本代表活動にも松田選手の名前がメンバーリストに入りすることはありませんでした。
復活に向け、チームの先輩・堀江翔太選手らをサポートする佐藤義人トレーナーの下で、リハビリ、肉体強化に励み、何とか開幕戦に間に合わせることができました。
それについて、松田選手は「いやもう佐藤さん、“様様”だと思います」と語っていました。「佐藤さんでなければ多分この開幕戦に間に合っていなかったと思います。プレーできることに感謝しています。佐藤さんを信じ、自分を信じて、やり続けるしかなかった。その結果、ここに帰ってこれたことがすごく嬉しい。でもここがゴールじゃない。これからも積み重ねていきたいと思っています」
松田選手によれば、佐藤トレーナーの「絶対大丈夫」という言葉を信じ、ひた向きにトレーニングを続けてきました。手術後、48センチまで細くなった左太もも回りは最大60センチにまで回復したそうです。
キャプテンで、帝京大学の1学年先輩にあたる坂手淳史選手は、松田選手の復活に向けた歩みを、こう振り返ります。
「力也はすごく努力する選手。“ケガをする前より強くなって帰ってくる”と常々口にしていました。実際にそれを実現するだろうな、と僕らが思うほど努力をしていた」
続けてロビー・ディーンズ監督。
「大きなケガから復帰するのはすごくハードルの高いこと。彼はすごく努力をし、ケガをする前より進化していると感じる」
松田選手がケガで試合から離れていた頃、ジャパンの背番号10は同僚の山沢選手のほか、李承信選手(コベルコ神戸スティーラーズ)、中尾隼太選手(東芝ブレイブルーパス東京)、田村優選手(キヤノンイーグルス)らに渡りました。悔しがるどころか、松田選手は彼らの活躍がリハビリのモチベーションにつながったと言います。
「腐っていられないというか、刺激をもらえた。心の部分でも常にエナジーを出しながら次に向かうことができました」
本職のスタンドオフに加え、センター、フルバック、時にはウイングもこなせるユーティリティー性は、彼の大きな強みです。復活への一歩は、フランスへと続いています。
2022年の当コラムはこれが最後の更新となります。新年は1月1日(日)に特別号を公開予定です。読者の皆さま、ご愛読ありがとうございました。来年も引き続き宜しくお願いいたします。
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