2009年度から17年度にかけて、9年連続大学日本一を達成した帝京大・岩出雅之監督は日本体育大卒業後、滋賀県教育委員会を経て、中学、高校で教鞭を執っていたことがあります。もちろん指導するのはラグビーだけではありません。人には言えない苦労もあったようです。
岩出監督は語っています。
「たとえば野球には野球独自のルールのようなものがある。なぜ練習もユニホームで行われなければいけないのか。そこで僕は発想を変えてTシャツ姿で練習をやらせたりした。困ったのはノック。試合前に両チームの監督がノックをするのですが、これが下手クソで、見ていた選手は、もうそれだけで負けたような顔をしている。これじゃマズイと思い、必死になってノックの練習をしました」
岩出監督が「ブザー・ビート」というパワーワードを用いて勝因を説明した時、バスケットボールを指導した経験に依るものかと思いましたが、これは違っていました。当時の人気ドラマ『ブザー・ビート~崖っぷちのヒーロー~』からの引用でした。
10年1月10日、東京・国立競技場。第46回全国大学選手権決勝は帝京大と東海大の対決となりました。
試合を振り返りましょう。
<先制したのは帝京大だった。前半4分、密集からパスを受けたSO森田佳寿がタックルをかわし、左隅へトライ。FB船津光が角度のない位置からキックを決めて7−0とリードする。しかし、東海大も17分、相手のファウルに乗じてチャンスをつかむと、SH鶴田諒が飛びこんでトライ。キックも成功し、7−7の同点に追いついた。その後は東海大が押し気味の展開も、両校とも得点なく試合を折り返した。
後半に入っても東海大は引き続き攻勢をみせる。相手の圧力にたまらず自陣で反則を犯した帝京に対し、11分にFB豊島翔平がPGを決めて勝ち越しに成功。さらに20分にも同様にPGで加点し、13−7と点差を広げた。だが、1回戦(対関東学院大)はロスタイムに追いつき、トライ数差で勝利するなど、全試合を逆転で勝ちあがってきた帝京は、ここから本領を発揮する。26分、相手陣内ラインアウトからのモールで一気に東海大のDF陣を押し込み、FL吉田光治郎が抜けだしてトライ。船津のキックも鮮やかに決まって14−13と試合をひっくり返した>(二宮清純責任編集SPORTS COMMUNICATIONS1月10日配信)
残り14分。1点差なんて、あってないようなものです。後半39分、東海大はモールで帝京大を圧倒します。下がればトライ、反則を犯せばPG。帝京大にとっては絶体絶命のピンチです。
しかし、なぜかスタンドの岩出監督は笑みを浮かべていました。よく、そんな余裕があったものです。
「まさにシーズンで一番の集中力を発揮する場面。学生の成長の跡が見られる場面でもあるわけです。それをスタンドから楽しもうと。だから“ピンチだな”とは思わなかった。“大きなヤマ場が来たかな”という感じでした。信じる力というのかな、学生を信じていたので何も慌てなかった。むしろ最後の最後にああいうシーンが来てラグビーの面白さを最高のかたちで表現することができたと思うんです。その意味では最高の締めだったんじゃないでしょうか」
実は7対7で折り返したハーフタイム、岩出監督は「よし、“ブザー・ビート”で行くぞ!」と選手たちに発破をかけていたのです。
周知のようにバスケットボールでは、試合終了のブザーが鳴るのと同時にシュートが放たれ、それが決まれば「ブザー・ビーター」と称賛されます。要するに岩出監督は選手たちに「接戦になっても最後は勝つぞ」と暗示をかけたのです。
押し込まれながらも、選手たちは冷静さを失わず、自らの任務にどこまでも忠実でした。吉田選手は「相手の足だけを見て、(タックルを)低く突き刺した」と語っていました。岩出監督がかけた暗示が効いていたのかもしれません。
最後は東海大が痛恨の反則を犯し、森田選手がボールを蹴り出しノーサイド。互いに薄氷を踏む思いを共有しながら、氷の割れ目に足を突っ込んだのは東海大の方でした。緊迫の時間を凌ぎ切った赤い固まりは、さながら塹壕戦の勇者の群れのようでした。
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