昨年のラグビーW杯日本大会で、ジャパンのベスト8進出に貢献した福岡堅樹選手は、来年夏に行われる予定の東京五輪出場(7人制)を断念し、かねて公言していた医学部受験を優先することを明らかにしました。
14日に実施したオンライン会見で福岡選手は、代表引退を決意した理由について、こう語りました。
「五輪延期の可能性が浮上してきた段階から自分の中でどうするかを考え始めていました。実際に延期が決まった時には、この(東京五輪)挑戦は辞退すると決めました」
今夏に開催予定だった東京五輪は、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、1年の延期が決まりました。東京五輪後に「医学の道を目指す」と公言していた福岡選手にとって医学部受験の1年延期は、はなっから頭になかったようです。
「自分が後悔しない道をいきたいという思いが一番強い。一度決めたタイミングを先延ばししたくない。本来であれば7人制の合宿に使っている時間を、勉強やセカンドキャリアへの準備に充てることで、よりスムーズに移行できると考えたからです」
祖父が内科医、父親が歯科医という医師一家に育った福岡選手は幼少期から「医師になりたい」との夢を抱いていたそうです。高校2年時に膝を負傷し、手術を経験したことでその思いは、さらに強くなっていきました。
大学受験で筑波大の医学部入学を目指したものの、不合格。一浪後も同大の医学部を受験しましたが、またしても不合格。結局、筑波大の情報学群に入り、2年時に代表初キャップを刻むと、15年W杯イングランド大会、16年リオデジャネイロ五輪、19年W杯日本大会に出場するなど、俊足で決定力のあるウイングとして国際舞台で活躍してきました。
ラガーマンとして全盛期とも言える27歳での代表からの引退、後悔はないのでしょうか。
「後悔というものはラグビーに関してはありません。もちろん東京五輪への挑戦をできなかったことに対し、少し心残りはありますが、これから違う道に進むにあたって“後悔はないか”と問われれば、“後悔がない”と言い切れます」
福岡選手の医学部受験は、現役医師の間でも話題になっているようです。西日本の国立大学でラグビー部の監督を務める私の友人は、「できたら医学部でもラグビー部に入り、プレーを続けて欲しい」と語っていました。
整形外科医の友人によると、医学部の運動部にもリーグ戦や地区大会、全国大会があるそうです。
「日本を東西に割って西が西医体(西日本医科学生総合体育大会)、東が東医体(東日本医科学生総合体育大会)。ラグビーの場合、西医体と東医体が最高の舞台ですが、もし福岡君が出場してくれるなら、皆、目を輝かせてタックルを仕掛けるでしょうね。万が一にも彼を倒したら一生の自慢になりますから。次の日からは医学部のスターですよ。しかし、無理だろうなァ……。受験勉強で疲れ果てていれば、影くらいは踏むことができるかもしれませんが……」
いや、おそらく影すら踏むことはできないでしょう。しかし、同じピッチで楕円球を追ったという経験は、医学生たちにとっても、一生の思い出になるはずです。
なお、どのような医療従事者を目指すかという質問に福岡選手は、こう答えています。
「トップアスリートとしてやってきた経験を生かせる分野でやっていきたい。ケガを治すことだけではなく、精神的な部分にも寄り添ってあげられるお医者さんになれたらいいなと思っています」
福岡選手の挑戦は、その姿自体が若いアスリートにとってロールモデルになることでしょう。
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