昨年12月に行われた高校バスケットボールのウインターカップに関する記事で、「最後の能代工初戦敗退」という見出しに目がとまりました。日本人最初のNBAプレーヤー田臥勇太選手らを輩出し、全国大会58回の優勝を誇る秋田の名門・能代工高がこの春、能代西との統合に伴い「能代科学技術」へと校名変更をするというのです。このところ商業高校や工業高校など実業系高校の校名変更が相次いでいます。
ラグビー界においては、全国大会優勝5度を誇る伏見工高が2016年に洛陽工高と統合し、京都工学院に校名を変更しました。
伏見工高と言えば、80年代に人気を博したテレビドラマ『スクール☆ウォーズ』のモデルになったことでも有名です。
当時は校内暴力が全国的に問題となっていました。伏見工高も“ワル”が集まる学校として有名で、校内や廊下をバイクで暴走する生徒もいたそうです。
そんな荒れた高校を立て直したのが75年にラグビー部監督に就任した元日本代表の山口良治さん(現・総監督)です。
鉄拳も辞さずのスパルタ式指導で選手を鍛え上げ、79年度、花園に初出場、80年度には悲願の初優勝を果たします。花園への出場回数は20回を数えます。
OBもキラ星のごとくビッグネームが並びます。代表監督まで務めた“ミスターラグビー”こと平尾誠二さんを筆頭に大八木淳史さん、細川隆弘さん……。初の決勝トーナメント進出を果たした19年W杯日本大会では、田中史朗選手、松田力也選手の2人が名を連ねました。
今年で100回目を迎えた全国高校ラグビー大会。歴代の優勝校と準優勝校を見ると工業高校の健闘が目立ちます。秋田工高(15回)、伏見工高(4回)、盛岡工高、相模台工高(2回)、熊谷工高(1回)。準優勝校は先の5校に加え、南満工高、黒沢尻工高、佐賀工高、御所工・御所実高。どの高校も校名とジャージーが一致する花園の雄です。
70年代から80年代、工業高校の出身者たちは日本ラグビーを支えてきました。それは78年度から84年度にかけて日本選手権7連覇を達成した新日鐵釜石(現・釜石シーウェーブ)の陣容を見れば一目瞭然です。
【85年1月15日、日本選手権決勝スタメン】
プロップ 石山次郎(能代工高)
フッカー 多田信行(黒沢尻工高)
プロップ 洞口孝治(釜石工高)
ロック 菊池保(黒沢尻工高)
ロック 瀬川清(釜石工高)
フランカー 高橋博行(秋田工高専)
フランカー 氏家靖男(黒沢尻工高)
ナンバーエイト 千田美智仁(黒沢尻工高)
スクラムハーフ 坂下功正(宮古工高)
センター 金野年明(一関工高)
実にスタメン15人のうち、10人が地元の工業高校や工業高専の出身者なのです。文字通り「鋼(はがね)のラガーマンたち」です。
中心選手だった松尾雄治さんから、こんな話を聞いたことがあります。
「彼らのラグビーに対する真摯な姿勢には涙が出ました。技術職の選手たちはヘルメットを被り、太い革のベルトに何キロもの工具を入れ、安全靴を履いて作業場に出る。ちょっとでも時間があれば、ツマ先立ちして下半身を鍛えている。そんな男たちの集まりだったんですよ」
しかし、近年、進学熱の高まりとともに工業高校や商業高校、農業高校などの“実業系高校離れ”が進み、それに伴って校名を変更する高校が増えてきました。
実業系高校にとって、それ以上に深刻なのは少子化です。たとえば工業高校の場合、生徒数は65年の約62万4000人をピークに減り続け、直近のデータ(15年)では約25万5000人にまで落ち込んでいます。
オールドファンにとっては、せめて全国大会くらいは、小林旭の歌ではないけれど、「昔の名前」で出てもらいたいものです。やはり京都工学院より伏見工高の方がジーンとくるんですよね。また「鳥羽伏見の戦い」という戦(いくさ)の名称でもわかるように、伏見は近代日本の揺籃の地でもあるのです。そんな由緒ある地名を戴く校名が簡単に消えていいものなのか……。繰り返しになりますが、せめてラグビーの大会くらいは旧名の伏見工高でいいのではないでしょうか。
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