来年1月にスタートする「JAPAN RUGBY LEAGUE ONE」(ジャパンラグビーリーグワン)で初代王者を狙う東京サントリーサンゴリアスは、スクラムハーフのポジション争いが激化しています。ジャパンに名を連ねる流大(ながれ・ゆたか)選手、齋藤直人選手、2019年W杯日本大会でイングランド代表のトレーニングメンバーとして帯同した大越元気選手。この強力な布陣に今季からは木村貴大(たかひろ)選手が加わります。
――今年7月、東京サントリーサンゴリアスに移籍した経緯は?
木村貴大: それまで所属していたコカ・コーラレッドスパークスの廃部により、代理人を通して各チームとコンタクトを取ってきました。そんな中でサンゴリアスにオファーをいただいた。ふたつ返事で「行きたいです」と伝えました。
――移籍先に希望していたチームだった、と?
木村: いえ、実はいろいろなチームにアクションを起こしていましたが、サンゴリアスからオファーをいただけるとは思っていませんでした。直接話をさせていただき、会った翌日には「お世話になります」と返事をしました。
――プレー面だけでなくオフ・ザ・フィールドの活動も評価されたと聞きました。
木村: 日本一のチームに評価してもらえたことに、すごくワクワクしています。僕が何かを決める時は、この“ワクワク度”を一番大事にしています。サンゴリアスでプレーする自分を想像した時にワクワク感が抑えられなかった。出場機会ということを考えれば、ジャパンのスクラムハーフが2人いるチームには、普通は行きたがらない。しかし、僕にとっては逆で、その競争に身を投じることもワクワクすることだったんです。
――クラウドファンディングを利用してのニュージーランド挑戦や、スーパーラグビー(SR)のサンウルブズ加入など、これまでのキャリアも“ワクワク度”を優先してきましたね。
木村: 自分の直感を信じています。僕の中の“ワクワク”を紐解いていくと、ファースト・ペンギンであること、誰も行きたがらないところに行くことに魅力を感じるんです。
――20年のサンウルブズは、SR参戦のラストシーズンでした。W杯日本大会が終わった後ということもあり、メンバー集めには苦労していました。木村選手は前年12月に練習生としてチームに加わりました。
木村: ちょうど僕がニュージーランドから日本に帰ってきていた時でした。サンウルブズがメンバー集めに苦労していることを小耳に挟んだんです。それで僕がU-20日本代表時の監督だった沢木敬介さん(コーチングコーディネーター)に連絡を取り、練習生として呼んでいただきました。
――そこから正式契約を勝ち取りました。しかし20年は新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、シーズン途中での活動終了を余儀なくされました。
木村: だからサンウルブズでの達成感はほとんどないんです。経験できたことや学んだことは多いのですが、試合には1試合しか出られなかった。悔しさの方が多くを占めています。後半戦から出場機会も増えると思っていましたし、そのつもりで準備もしていた。ところが、突然、チームの活動が終わってしまった。SRがどういうものかわからないまま終わってしまった感じがしています。
――その後、入団したレッドスパークスは地元・北九州市のチームでした。
木村: レッドスパークスに入る前は、ヨーロッパでプレーしようと考え、ウェールズに行く準備をしていました。ところがコロナ禍で実現できなかった。その後もヨーロッパのチームに自分のプレー動画付きでメールを送りましたが、残念ながらオファーはありませんでした。所属先が決まらないタイミングでレッドスパークスから声を掛けていただきました。小学生の頃はレッドスパークスのグラウンドで大会に出ていて、レッドスパークスの選手が憧れでしたから、すごく感慨深かったですね。
――そのレッドスパークスが今年4月廃部になってしまいました。2チームで廃部、解散を経験しました。
木村: サンウルブズでの活動が終わり、レッドスパークスに入るまで、約7カ月間、所属先がない状態でした。その時はつらかった。自分がどこに向かっているのかもわからない。コロナは自分ではコントロールできないこと。先が見えず、暗闇で綱を渡っているような感覚でした。
――そこで腐るようなことはなかったですか?
木村: はい。自分の価値を見出しながら、いろいろなことに挑戦しました。たとえば、その期間にファンクラブをつくりました。ファンの存在が僕のエナジーになった。今まで以上にファンの応援のありがたさを知りました。あの経験があったからこそ、それまで見えていなかった部分が見えるようになったんだと思います。
――サンゴリアスはトップリーグで5度、日本選手権8度の優勝を誇る名門です。自身のツイッターで、ハードなトレーニングについて言及していましたが、これこそが求めていた環境だったと?
木村: おっしゃる通りです。今はきつい練習すらも幸せなことだと感じています。
――サンゴリアスの練習は他と何が違うのでしょうか?
木村: ラグビーに対する意識が断トツに高い。皆が日本一を目指し、日本代表入りを狙っている。ファイティングスピリットが根付いている。そして、すごくハングリー。たとえば2人1組の練習で、押し合う場面があるのですが、互いに本気でぶつかり合う。それは僕が求めてきたことで、居心地の良さを感じます。
――スクラムハーフのポジションは激戦区です。
木村: 入る前は“彼らを倒して代表になる”という気持ちが強かった。今は自分が成長することが純粋に楽しい。競争に勝つことはプロとして当たり前ですが、彼らとの比較はしません。“サンゴリアスが求めるスクラムハーフ”に近付くための努力をするだけです。
――そのために克服しなければいけない課題は?
木村: パスのテンポ、ボールさばき。求められるスタンダードが高いので、もっと巧くならなければいけません。パススキルや状況判断の正確さを高めていかないと、サンゴリアスのアタッキング・ラグビーは体現できませんから。
――木村選手は「夢トラ」などオフ・ザ・フィールドの活動にも熱心です。そのきっかけは?
木村: 豊田自動織機にいた1年目の時です。トップリーガーと呼ばれるようになり、“この影響力を何かに使いたい”と考えたんです。思ったら、かたちにしないと気が済まない性分なので、北九州市、スポーツ振興委員会、北九州ラグビー協会と連携し、「夢・スポーツ授業」(夢スポ)を北九州市のラグビースクールの子供たちを集めて行いました。僕が子供たちに夢を届けるために行くんですが、むしろ自分の方が元気をもらえる。そこでラグビーをやっている目的を深く考えるようになりました。僕が頑張ることで、いろいろな人に挑戦する勇気を与えられたらいいと思っています。
――この活動にはロールモデルがいるのでしょうか?
木村: 全部自分からですね。正直、オフ・ザ・フィールドの活動に対し、「もっと練習しろ」という批判の声もありました。しかし、この活動は誰かのためにもなるし、自分のためにもなる。だから批判の声は気にならなかったですね。
――座右の銘にしている「意志あるところ道あり」を地で行っているわけですね。有言実行には頭が下がります。
木村: この言葉、実は東福岡高校の校訓なんです。正直に言うと、在学中はそれほど自分に響いてこなかった。卒業後、ニュージーランドから帰って来た時に、母校の後輩たちに練習を教えに行ったことがありました。その時、グラウンドに掲げられている校訓を見て、泣きそうになったんです。今でも忘れられませんが、その言葉が自分に突き刺さってきた。どれだけ強い意志を持って、自分を信じて道を切り拓けるか。似たような境遇で悩んでいる人がいれば、この思いを共有したいと思うようになり、今は座右の銘にもしています。
――今後の目標は?
木村: サンゴリアスで日本一になること。その時にグラウンドの中にいたいと思っています。
<木村貴大(きむら・たかひろ)プロフィール>
1993年12月9日、福岡県出身。ポジションはスクラムハーフ。小学1年でラグビーを始める。東福岡高校時代は主にフランカーとしてプレー。公式戦3年間無敗、花園3連覇に貢献した。筑波大学時代にはU-20日本代表に選ばれた。大学3年時にスクラムハーフに転向。16年に豊田自動織機シャトルズに加入した。19年、ニュージーランド挑戦を決意してチームを退団。同年12月、スーパーラグビーのサンウルブズに練習生として加わり、翌年1月、正スコッドに昇格した。20年12月、コカ・コーラレッドスパークスに入団。同年7月、東京サントリーサンゴリアスに加わった。身長173センチ、体重82キロ。
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