東京五輪で7人制ラグビー女子日本代表(サクラセブンズ)は順位決定戦を含め5戦全敗、最下位(12位)に終わりました。メダルは金がニュージーランド、銀がフランス、銅がフィジー。世界の頂は遠く、日本には厳しい現実が突きつけられました。
ともあれサクラセブンズの戦いを振り返りましょう。1次リーグ初戦はリオデジャネイロ五輪金のオーストラリアに0対48と完敗。続くアメリカ戦は7対17、中国戦は0対29。3連敗で準々決勝に進めず、9~12位決定戦に回ることになりました。5年前の9~12位決定戦で勝利したケニアには、終了間際に試合をひっくり返され、17対21と惜敗。11位・12位決定戦ではブラジルにリードする場面もありましたが、結局は12対21で全日程を終えました。
大会前は「金メダル」を目標に掲げていたサクラセブンズですが、散々な結果に終わりました。
敗軍の将となったハレ・マキリヘッドコーチは、ブラジル戦後、日本ラグビー協会を通じて、こうコメントしました。
<残念ながら、私たちが目指していたゴールを達成することはできませんでしたが、チームの努力が不足していたわけではありません。ヘッドコーチとして選手やスタッフに求めることは常にベストを尽くすことです。この経験から得た貴重な学びを、女子セブンズ日本代表の更なる強化に今後役立てていけるものと考えています>
反省材料ばかりが目立つ五輪にあって、奮闘したのが身長156センチのバックス原わか花選手でした。大会前の時点で代表キャップは6。五輪初出場、21歳の快速トライゲッターです。
ケニア戦では持ち味のスピードを生かし、2分に先制トライ。翌日のブラジル戦では一時勝ち越しとなるトライをあげました。7対7で迎えた前半6分。バックス陣がボールを左に展開、大外で待っていたのが原選手。パスを受け取り、突破を図ると、ジャージーを掴んできた相手を引きずりながらインゴール左隅に飛び込みました。スピードに加え、相手に捕まりながらもトライを決め切る力強さは見事でした。
男子15人制では、19年のW杯日本大会で活躍した福岡堅樹選手と松島幸太朗選手の両ウイングが“ダブルフェラーリ”と呼ばれましたが、原選手は“新幹線娘”の異名をとります。スピードを武器とする自身のプレースタイルに加え、自ら公言する“新幹線愛”がその由来となっています。現在、慶應義塾大学4年生の原選手は地元の新潟に帰省するにあたり、必ず新幹線を利用するそうです。
「私にとって新幹線は心の支え。自分がプレースタイルで迷った時、立ち帰る場所になっています。東京オリンピックでは新幹線の美しさ、速さ、強さを私の走りで体現して、いろいろな方に素晴らしさを知っていただけたらいいなと思っています」
1964年、東京五輪開幕前に東京-大阪間をつなぐ東海道新幹線が開業しました。以降、“進化”を続け、開業当時210キロだった最速時速は現在、300キロ(東海道新幹線は285キロ)を超えます。原選手にも新幹線のような“進化”を期待したいものです。
ところで原選手、今回の東京五輪でラグビーキャリアを終えるつもりでした。しかし大会前に終点をパリ行きに変更しました。
「“東京でやり切って終わりたい”と思っていたのですが、ここまで試合や練習を積み重ねていく中で、もっと追求したい、高みを目指したい気持ちが強くなったんです」
以下は大会終了後、日本ラグビー協会からリリースされた原選手のコメントです。
<リオ五輪から約5年、多くの方に応援していただき支えられてサクラセブンズがあります。勝利という形で恩を返すことができず、本当に申し訳ない気持ちと後悔でいっぱいですが、ここで止まることなく、ここがスタートだと思って前に進み続けます>
終着駅のパリまで、あと3年。時間はあるようでないのが現実です。トンネルの先に“のぞみ”や“ひかり”はあるのでしょうか……。
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