8シーズンに渡ってヤマハ発動機ジュビロを率いた清宮克幸さんがさる1月29日、都内で退任会見を開きました。100人を超える報道陣が集まったのはトップリーグチームの監督としては異例です。2014年度にはヤマハを創部以来初の日本一に導きました。ヤマハは14年度からの5シーズン、トップリーグですべてベスト4以内に入っています。これからが楽しみだっただけに惜しまれる退任です。
ヤマハを強豪チームへと変えた清宮さんには“再建人”の印象があります。母校の早稲田大学では監督就任1年目で11年ぶりの関東大学対抗戦Aグループ優勝を果たし、翌シーズンには13年ぶりの大学日本一に導きました。06年度より監督に就任したサントリーでは、前年度リーグ6位から準優勝にまでチームを押し上げ、翌シーズン、ついにトップリーグを制覇しました。ヤマハでも苦境からのスタートでした。就任当時はリーマンショックの後遺症による業績不振で、チームは縮小を余儀なくされていました。
「選手たちのレベル、質はトップチームに比べるとかなり劣るものがありました。彼らにヤマハにしかできない“ヤマハスタイル”を浸透させることがトップ4に入る一番のポイントだと思っていました」
ヤマハではパワフルなFWを生かしたセットプレーに活路を求めました。清宮さんは選手の採用基準に「強み、個性を持っていること」を挙げました。このコンセプトに従い、体格に恵まれていなくても、トップレベルで活躍できる選手たちを育て上げたのです。その代表例が身長170センチの仲谷聖史さんです。先日、37歳で現役を引退した仲谷さんは、35歳で代表初キャップを刻んだ遅咲きのプロップでした。清宮さんとの出会いがなければ、桜のジャージーを着ることはなかったでしょう。
退任会見で清宮さんはヤマハでの8年間をこう振り返りました。
「ヤマハ時代の実績と言えば、“ヤマハに行けば何とかなる”“試合に出られる選手になれるかもしれない”という都市伝説的な話が学生ラグビーの間で広まったことです。そういう選手たちがヤマハにトライアウトを受けにくる。それが8年間で一番うれしかったことのひとつです」
ヤマハでの8シーズンで82勝41敗3分けという通算戦績を残した清宮さんは監督を退き、アドバイザーに就任します。
「一番は堀川(隆延)を男にしたかった。そろそろ“助さん”に“黄門様”になってもらわなきゃ、と思いました」
堀川とは後任の堀川HCのことです。清宮さんは「彼が結果を出すことを、より推し進める」と新監督をサポートしていく構えです。
“助さん”に跡を譲り、ヤマハのアドバイザーに就任した清宮さんですが、このまま“隠居”するわけではありません。退任会見では今後についても口にしました。それは女性と子どもに特化した総合型スポーツクラブ「アザレア・スポーツクラブ」の設立です。静岡県小笠山運動公園(エコパスタジアム)を拠点に、「地域共生できるスポーツ文化を根付かせたい」との思いから生まれました。
そこで清宮さんはクラブの代表理事を務めます。
「ラグビーだけでなく様々なスポーツと子どもたちの未来を変えていく存在になりたい。日本中に夢や希望を与えられる存在に成長できればいい」
手始めに女子7人制ラグビーチーム「アザレア・セブン」をつくり、その後はラグビー以外の競技も増やしていく方針です。清宮さんは「年にひとつ、ふたつずつ増やしていく計画で、10年後には20ぐらいのスポーツができればいいと思っています」と語りました。
清宮さんは「ラグビーへの恩返し」と「地域貢献」を今後の活動の柱に掲げています。それを「アザレア・スポーツクラブ」を通じて行うというわけです。これは清宮さんが以前から温めていたプランでした。13年前、サントリーの監督時代の清宮さんは、私にこう語りました。
「今、ラグビーでしかできない新しい企業スポーツの道をつくっていきたいと考えている。イメージとしては、サントリーにはサントリーホールがあり、文化、音楽関係の方々に愛されているし、それが大きな社会貢献にもなっている。僕は、そのスポーツ版をつくりたい。ホームタウンをつくりながら、企業としての社会貢献的な部分をやっていくことはとても大切です。今後、そうした活動の旗振りをするのも僕の仕事だと考えています」
清宮さんの新しいチャレンジに拍手をおくりたいと思います。
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