今シーズン、メジャーリーグ史上初となる「50-50」(50本塁打・50盗塁)を超え、「54-59」をマークしたドジャース大谷翔平選手。「東北にすごいバッターがいる」。彼の名前を初めて耳にしたのは、今から13年前、大谷選手が花巻東高2年生の時のことです。情報を提供してくれたのは、当時、東京ヤクルトスワローズの北海道・東北地区担当スカウトをしていた八重樫幸雄さんでした。今回、改めて高校時代の大谷選手について、八重樫さんから話を聞きました。
――八重樫さんが大谷選手を初めて見たのは何年生の時ですか?
八重樫 彼が1年生の時です。当時から背は高かったけど、まだヒョロヒョロだったんです。それが年が明け、2年生になるとがっちりしてきた。まずは体形の変化に驚きました。
――食事の量を増やしたとか?
八重樫 その通りです。佐々木洋監督に聞くと、「1日5食食べさせた」と語っていました。寮での朝、昼、晩の食事に加え、練習前と練習後も食べさせたと。通常の食事では、どんぶり鉢で3杯は食べさせた、と語っていました。
しっかり食べてからランニング、筋力トレーニングをするものだから、太ももの張りが1年生の頃とは全然違っていましたね。それはユニホームのズボンを見ているだけでも、はっきりわかりました。
――印象に残っているホームランを、いくつか教えてください。
八重樫 あれは2年生の時かな。場所は盛岡市の岩手県営球場です。ここのレフトポールは高いんですが、右ピッチャーのボールを、ポールの上にまで運びましたよ。僕の目にはホームランに見えたんですが、審判の判定はファウルでした。高校生の左バッターがレフトポールの上にまで打球を運ぶのを初めて見ました。メジャーリーグに行ってからも、彼はレフト方向への大きなホームランが多い。その兆しは高校時代からありました。
――八重樫さんから見て、大谷に次ぐ高校生スラッガーは?
八重樫 横浜高時代の筒香嘉智もよかったですよ。しかし、1点違っていたのは、内角球で詰まらされても大谷の場合はバットを振り抜くから、レフト前やセンター前に落ちるんです。筋力がついた今は、詰まらされたままでもスタンドまで打球を運ぶことができるようになった。筒香もスケールの大きなバッターでしたが、詰まらされた瞬間、スイングが緩むんです。そこから振り抜けない。だから、そのままフライアウトになることが多かったですね。
――打者として大谷の名が全国に響き渡ったのは3年生のセンバツです。大阪桐蔭高の藤浪晋太郎投手から2回にソロホームランを放ちました。スライダーを振り抜いた打球は、そのまま甲子園のライトスタンドへ一直線に伸びていきました。あれは衝撃的な打球でした。
八重樫 1年生の時から大谷を見ている僕からすれば、あのくらいはやるだろう、と思っていました。それより印象に残っているのは3年生でのある試合です。岩手県営球場で、逆風の中をバックスクリーンのやや右中間寄りにライナーで叩き込んだんです。逆風の影響を全く感じさせない、ものすごい一発でした。長い間、プロで選手やコーチをやってきた僕ですが、これにはびっくりしました。
実は、佐々木監督から「(大谷は)プロではピッチャーがいいですか、バッターがいいですか?」と意見を求められたことがあるんです。僕は「長く野球をやりたいのであれば、野手の方がいいかもしれませんね」と答えました。まさか、“二刀流”でここまで成功するとは思いませんでしたけど……。
――高校時代の指導がよかったと?
八重樫 もちろん、それもあるでしょう。先にお話ししたバットを振り抜く指導などは、今に生きていると思います。それに加え、環境面もよかった。花巻東のグラウンドと花巻市営球場の間にはゴルフ場の跡地があり、天然芝の上でよくランニングをしていました。こうした地道な体づくりが後々、生きてきたんじゃないでしょうか。
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