プロ18年目を巨人で迎えることになる松田宣浩選手には、甲子園での苦い記憶があります。今から22年前、中京商高(岐阜)のメンバーとして甲子園に出場した松田選手は、敗因となる暴投を犯してしまいました。しかし、それを糧にしてプロでは名手の評価を不動のものにしました。
滋賀県草津市で生まれた松田選手は、地元の守山高で甲子園出場経験を持つ父親の影響で、小学2年で軟式野球を始めました。中学は硬式の栗東ボーイズ、高校は隣の岐阜県にある中京商(現・中京高)に進みました。
ボーイズリーグ時代の野球仲間には東北楽天の今江敏晃2軍打撃コーチ(向陽オックス)と埼玉西武の中村剛也選手(大東畷ボーイズ)がいます。
後に3人揃ってプロで活躍することになるのですが、当時はどうだったのでしょう。
松田選手は、こう語っていました。
「おかわり君は、中学生の頃から飛距離が違っていた。当時はキャッチャーをやっていたんですが、何をやっても抜けていました。
今江もスゴかった。大人のような体付きで“あれが中学生か”とびっくりしました。同い年ながら、2人とも僕からすれば雲の上の存在。僕がプロを意識したのは大学に入ってからですが、彼らは小さい頃からプロを意識して硬球を握っていたんじゃないでしょうか……」
中京商に入学した松田選手が甲子園出場を果たしたのは2000年の夏です。松田選手は高校2年生でした。
実は松田選手は双子で、兄・教明さんもチームメイトでした。ポジションは兄がピッチャーで、弟がショート。兄弟でありながらライバルという関係でした。
ちなみに教明さんは高校卒業後、トヨタ自動車に進んでいます。
以前、2人について高校時代の監督・小嶋雅人さんに話をうかがったことがあります。小嶋さんによると、「能力的には兄のノリの方が上」ということでした。
「ノリは50mを5秒台で走るし、肩も強い。打球も放物線を描く。天性のホームランバッターでしたね。一方、ノブの打球はライナー性。足も速く肩も強かったんですが、兄の方がより素晴らしいセンスの持ち主でした」
蛇足ですが、双子でプロ野球選手になった例が二例報告されています。元中日の克公さん・泰一さんの上崎兄弟と、元巨人の寛人さんと元東北楽天の隼人さんの川口兄弟です。
松田選手に話を戻しましょう。00年夏、甲子園初戦(2回戦)の相手は那覇高(沖縄)でした。同校は自主性を重んじるチームで、キャッチャーと三塁手は左利きでした。
試合は5回裏に中京商が先制、7回表に那覇が1対1の同点に追いつきます。そして迎えた延長11回表、那覇は2死二塁のチャンスを掴みます。5番打者の打球は三遊間へ。ショートの松田選手は、スライディングして好捕し、立ち上がりざまファーストへ。だが握り損なったボールはファーストの頭上をはるかに超え、その間に二塁ランナーが生還しました。これが決勝点となり、中京商は1対2で敗れたのです。
当時を思い出しながら小嶋さんは語りました。
「あの打球は足の速いノブだからこそ追い付けたし、肩の強いノブだからこそファーストへ投げられたんです。だから3年生も“ノブにしかできない悪送球だ”と言って、誰も彼を責めようとはしませんでした」
プロ(福岡ソフトバンク)で松田選手はゴールデングラブ賞に8回輝いています。三塁手としての8回ならびに7年連続受賞(13~19年)は、いずれも歴代最多です。高校時代の苦い記憶を成長の糧に変えたのです。
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