あくまでも個人的な見解ですが、テレビも含めこれまで甲子園で見たピッチャーの中で一番、速いと感じたのは江川卓さん(作新学院・栃木)。そして2番目が今回の主人公・槙原寛己さん(大府・愛知)です。
槙原さんは高校2年時の1980年夏に甲子園にやってきていますが、控え投手だったため、試合には出場していません。
初めて甲子園で剛球を披露したのは翌81年のセンバツでした。
槙原さんの剛球は大会前から評判でした。187センチの長身から投げ下ろすストレートは140キロ台後半と言われていました。
今と違って140キロ台後半のスピードボールを持つ高校生は稀でした。プロでもエース級に限られていました。
初戦の相手は優勝経験のある強豪・報徳学園(兵庫)。ここにもプロ注目の選手がいました。「4番ピッチャー」の金村義明さんです。
その金村さん、高校時代はかなりヤンチャでした。
「入場行進の予行演習の時、何人かのチームメイトと“かまし”に行ったんです。槙原に向かって“おう、かかってこんかい!”と。上品な言葉で言えば挑発ですよ。槙原が好投手だとは知っていましたが、こちらは(レベルの高い)近畿地区の代表。負けるわけがないと思っていました」
ところが、です。
「いざ試合が始まり、槙原が第1球を投じた瞬間、僕らはシーンと静まり返ってしまった。もう、びっくりするほど速かった。僕はプロで18年間やりましたが、今でもあんな速いボールは見たことがない。僕が対戦した中では、ナンバーワンのスピードボールです」
一方の槙原さんは「怖そうなヤツがおるな」と思ったそうですが、“脅し”に屈することはありませんでした。
終わってみれば強打の報徳打線を8安打3点に封じ、5対3で完投勝ちを収めました。
戦前の予想は「報徳有利」でしたが、落ち着いたマウンドさばきを見せた槙原さんに対し、金村さんは「自分を見失ってしまった」そうです。
「槙原のスピードボールを見て、“負けたくない”とライバル心がメラメラと湧いてきたんです。それで、こちらも負けずにストレートばかり投げたら、あっという間に大府打線に捕まってしまった。脅しに行って逆にやられたんですから、かっこつかんかったですよ」
しかし、金村さんもタダでは引き下がりません。ピッチャーとしては完敗でしたが、バッターとしてプロのスカウトに名刺代わりの一発を見舞ったのです。8回表、先頭打者として打席に立った金村さんは槙原さんのストレートをレフトスタンドに叩き込んだのです。
「あれは半分、ヤケクソですよ」
金村さんは振り返ります。
「僕がまっすぐばかり投げて打たれるものだから、監督から“ひとり相撲するな!”とベンチで叱られたんです。それで“クッソー”と思ってバットを振ったら、見事な弾丸ライナーとなってレフトスタンドに飛び込んだ。打った相手が良かったんでしょうね。『中西太以来の怪童』と取り上げてくれた新聞もありました。今は亡き青田昇さんもスポーツ報知で“これはすごいバッターや”と褒めてくれて……。ただ1回戦で負けて帰ったものだから、OBからは“オマエのせいで負けた”と散々、叩かれました」
この悔しさをバネに、金村さんは投打に磨きをかけ、報徳を夏の優勝に導きます。秋のドラフトでは2人揃って1位指名(槙原は巨人、金村は近鉄)を受けました。
実は槙原さん、巨人指名は予想外だったそうです。
「12球団すべてのスカウトが2回ずつ高校に挨拶にくる中、唯一、ヤクルトだけが3回きました。それで、ドラフト会議当日まで“ヤクルトがくる”と思っていたんですが、まさか巨人が単独1位とは……。人の運命なんてわからないものですね」
槙原さんも金村さんも57歳。現在はともに解説者として活躍中です。いつかマイクの前での“競演”にも期待したいものです。
データが取得できませんでした
以下よりダウンロードください。
ご視聴いただくには、「J:COMパーソナルID」または「J:COM ID」にてJ:COMオンデマンドアプリにログインしていただく必要がございます。
※よりかんたんに登録・ご利用いただける「J:COMパーソナルID」でのログインをおすすめしております。