春の甲子園では過去12人のピッチャーがノーヒット・ノーラン(うち完全試合2)を達成しています。最後に達成したのは2004年、当時、東北高(宮城)3年生だったダルビッシュ有投手(サンディエゴ・パドレス)です。
甲子園は春と夏、年に2回開催されますが「春は投手力」と言われます。その理由はいくつかあります。思いつくままにあげてみましょう。
① 夏の大会は6試合続けて勝たなければ(2回戦から出場の場合は5試合)トーナメントの頂点にたどり着くことはできません。春は最大5試合です(記念大会は除く)。エース級を何人も抱えているチームはともかく、ワンマンチームの場合、わずか1試合の違いとはいえ、5試合と6試合では大違い。エースひとりの力で6試合を勝ち抜くのは、至難の業です。
② 高校野球は秋の大会から新チームとなり、秋季各都道府県大会・地区大会の戦績がセンバツの出場選考に反映されます。12月1日から3月前半まで対外試合が禁止となるためチーム自体の完成度が低く、結果的にピッチャー有利となります。
③ 夏の甲子園は猛暑との闘いです。翻って春は、肌寒い日はあるものの、環境的には夏よりも恵まれていると言えます。しかも夏の場合、県予選の段階でピッチャーが疲弊しているケースが少なくなく、甲子園にたどり着く前に肩やヒジがボロボロだったという事例が数多く報告されています。
3月26日、1回戦第2試合。ダルビッシュ投手擁する東北の相手は熊本工。ここには亜細亜大、大阪ガスを経て広島東洋カープに進む岩見優輝投手というサウスポーがいました。東北は前年夏、準優勝を飾っています。その立役者こそが2年生のダルビッシュ投手でした。
プロ野球の多くのスカウトが見守る中、キャプテンとなったダルビッシュ投手は、緩急自在のピッチングを披露します。初回、先頭打者の宮崎竜一選手の放った打球をサードの横田崇幸選手が一塁に悪送球(記録はエラー)する波乱の立ち上がりとなりましたが、2番の橋村泰志選手をサードのファウルフライ、3番の橋本賢選手を空振り三振、4番の木村拓選手を見逃し三振に切って取りました。
オヤッと思ったのはエラーをした横田選手に、ダルビッシュ投手が「気にするな」と一声かけた場面です。そこには一皮むけたエースの姿がありました。
ダルビッシュ投手の“声かけ”に発奮したわけではないでしょうが、エラーをした横田選手は犠牲バントを狙った橋村選手のファウルフライに飛びつきました。
2回表、東北は2死一、三塁のチャンスで槙亮輔選手がレフト線にタイムリーツーベースを放ち、2点を先制します。この日のダルビッシュ投手の調子をもってすれば、この2点で十分でした。
2回と5回に、ひとつずつ四球を与えますが、ダルビッシュ投手は快調にスコアボードに0を重ねていきます。
ノーヒット・ノーランが進行中であることに気付いたのは、熊本工の8回表の攻撃が始まる前でした。チームメイトから「大記録、やれよ」と声をかけられ、スコアボードを見たそうです。それだけ、打者ひとりひとりに集中していたことの証でしょう。
熊本工、最後のバッターは3番・橋本選手。詰まった小フライがセカンドを守る槙選手のグラブに収まりました。ランナーが二塁に進んだのは、初回の1度だけ。129球のノーヒット・ノーランショーでした。
「8割くらいの力で投げた」とダルビッシュ投手。柔と剛、その両面を併せ持つのが彼の最大の魅力ですが、その原型を見るような19年前の試合でした。
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