春3回、夏4回の優勝を誇るPL学園(大阪)ですが、春夏連覇を達成したのは1987年の1回だけです。このチームからは橋本清さん、立浪和義さん、野村弘樹さん、片岡篤史さん、宮本慎也さん(1年生)の5選手がプロに進みました。
このチームの最大の特長は橋本さん、野村さん、岩崎充宏さんと、どの強豪校に入っていてもエース間違いなしのピッチャーが3人いたことです。プロに進んだサウスポーの野村さん、右の本格派の橋本さんだけでなく、岩崎さんもスライダーのキレが抜群でした。中村順司監督は、練習でこの3人を競わせ、試合では継投策を駆使して連覇を達成したのです。
87年の甲子園のデータを調べていて、おもしろいことに気がつきました。3人のエース級を擁しながら、完投勝ちは11試合で2つしかないのです。
◎87年春
PL学園 3-1 西日本短大付属(福岡) 野村-橋本
PL学園 8-0 広島商(広島) 野村-岩崎
PL学園 3x-2(延長11回) 帝京(東京) 野村-橋本-岩崎
PL学園 8-5(延長14回) 東海大甲府(山梨) 野村-橋本-岩崎
PL学園 7-1 関東一(東京) 野村-橋本
◎87年夏
PL学園 7-2 中央(群馬) 野村-橋本
PL学園 7-2 九州学院(熊本) 野村-岩崎
PL学園 4-0 高岡商(富山) 野村
PL学園 4-1 習志野(千葉) 橋本
PL学園 12-5 帝京(東京) 野村-橋本
PL学園 5-2 常総学院(茨城) 野村-岩崎
今回、登場する橋本さんは11試合中7試合に登板し、春は優勝投手にもなっています。春夏通じて先発したのは、夏のわずか1回だけ。準々決勝の習志野戦に先発し、4対1で完投勝ちを収めています。
「実は3回戦の高岡商戦で野村が完封勝ちしたんです。それで監督に習志野戦前に“僕も先発させてください”と直訴したんです。野村が先に完封したので、絶対に負けたくなかった。残念ながら1点とられましたけど、完投勝ちは目茶苦茶うれしかった。野村は何回も先発しているけど、僕は1回だけ。その1回のチャンスで結果を出したんですから……」
橋本さんの話を聞いていてもわかるように、野村さんとの間には2人しかわからないライバル感情がありました。
「ほとんどの試合は、野村が先発で僕はリリーフ。僕はブルペンでいつも思っていましたよ。“野村よ、早く打たれろ”と。そうすると僕の出番が早くなり、目立つことができるじゃないですか。チームワークはよかったけど、ことライバルに対しては“負けたくない”という気持ちの方が強かったですね」
春の決勝で野村さんをリリーフし、“胴上げ投手”になった橋本さんですが、夏にもそのチャンスがありました。
「決勝は島田直也や仁志敏久らがいた常総学院。前半に4点を取り、楽勝ペースだったのですが、7回に1点を返され、4対1になりました。なおも2死二塁の場面でマウンドには野村に代わって岩崎が上がりました。あと1、2点取られれば危ない場面です。僕はここでも“打たれろ”と思いました。“ここで1本出たらオレだな”と。ところが岩崎は後続を三振に切ってとった。うれしい反面、残念な気持ちもありました。8回にも岩崎は1点を失いましたが、そこも踏ん張った。僕がマウンドに上がり、最後を締めていたら春夏通じて“胴上げ投手”になっていたわけですから……」
高校時代、「背番号1」へのこだわりが強かった橋本さん。高校を出た後、中村監督に「なんで僕に1番をくれなかったんですか?」と聞いたそうです。
中村さんの返答はこうでした。
「実力はオマエが一番だと思っていたけど、オマエは調子に乗り過ぎるからな」
それを聞いた橋本さん、「監督は僕の性格をよくわかっていた」と思ったそうです。
負けん気の強い橋本さんは、ブルペンにいる時から「野村よりもいいピッチングをする」という思いで「アドレナリンをたぎらせ」、いざマウンドに上がるとエンジンを全開にしたそうです。この闘争心がPL学園初の春夏連覇という快挙につながったのです。
当コラムの次回更新は7月29日(木)になります。
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