二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~
2021年7月27日(火)更新
04年アテネ、「自由形で金」の快挙
柴田亜衣、3つの「あ」で奇跡創出
「今まで生きてきた中で、一番幸せです」。14歳で金メダリスト(1992年バロセロナ五輪・競泳女子200メートル平泳ぎ)となった岩崎恭子さんに憧れた少女たちは少なくありません。2004年アテネ五輪で日本人競泳女子自由形(800メートル)初となる金メダルを獲った柴田亜衣さんもそのひとりです。
シンデレラガール
中学2年生の岩崎さんがバルセロナの表彰台の真ん中に立った時、柴田さんはまだ小学4年生でした。「カッコいいなぁ。いつか自分も(オリンピックに)行けたらいいなぁ」と心を躍らせたそうです。
しかし、少年少女時代の夢を実現させることができる人は、ほんの一握りです。柴田さんも徳島の高校卒業後は「普通に就職しよう」と思っていたくらいですから、彼女も岩崎さんに負けず劣らずのシンデレラガールといっていいでしょう。
柴田さんにとって大きな転機となったのが大学3年生で出場した03年世界選手権(バルセロナ)です。同学年の北島康介さんが2つの金メダル(100メートル、200メートル平泳ぎ)を、いずれも世界新記録で獲得した大会です。柴田さんは3つの種目(400メートル、800メートル、1500メートル自由形)に出場したものの、全て予選落ちに終わってしまいました。
「(大会を)ただ楽しもうと思っていた自分が恥ずかしかった」と柴田さん。そこから目の色を変えて練習に取り組むようになり、04年アテネ五輪代表の座を射止めます。
最初に出場した400メートル自由形では、自己ベストを更新し5位入賞を果たしました。とはいえ、800メートルでの柴田さんのメダルを予想する者は、ほとんどいませんでした。彼女の持ちタイムは8分27秒61。ライバルである山田沙知子さんの8分23秒68には大きく遅れをとっていました。
柴田さん自身もメダルに関しては“我関せず”でした。「メダルへの思いが全くなかったわけではありませんが、それよりも“自己ベストを出したい”という思いの方が強かったですね」
「慌てず、焦らず、諦めず」
8月19日(現地時間)午前。予選は8分30秒08のタイムで3位。本命は400メートルでも金を獲ったフランスのロール・マナドゥさんでした。
2日後、決勝のコースは予選1位のマナドゥさんが4コース、柴田さんは3コース。「マナドゥ選手に勝とうという気はありませんでした」と柴田さん。この無欲が功を奏します。「彼女が前半から飛ばしても、ついていくときつくなる。様子を見ながら2、3番手でレースを進めればいいと……」
400メートルの時点でマナドゥさんとの差は約5メートル。しかし、「自分の泳ぎをしよう」と決めていた柴田さんに焦りはありませんでした。
「600メートルあたりで“ひょっとしたら”という思いが頭をよぎりました。自分がジワジワ追いついているのがわかったんです。最後のターン(750メートル)では並んだか私の方が少し勝っている感じ。タッチの差で負けるのだけは嫌だったので、その時に初めて“勝ちたい”と思いました」
優勝タイムは8分24秒54。マナドゥさんに0.42秒差をつけての完勝でした。かくして彼女は日本人女子初となる自由形金メダリストの称号を手に入れたのです。
ところで泳いでいる最中、彼女は、ずっと以下の言葉を自らに言い聞かせていたと言います。
「慌てず、焦らず、諦めず」
3つの「あ」が奇跡を創出したのです。
二宮清純