二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~

2021年8月6日(金)更新

「代表チームが一番名誉な場所に」
侍ジャパン、先人の思いとともに

 悲願の金メダルまで、あと1勝と迫った侍ジャパン(野球日本代表)。もし東京オリンピックが新型コロナウイルスの影響を受けず、予定通り昨年夏に開催されていたら、間違いなく代表メンバーに名を連ねていなかった選手が2人います。ルーキーの栗林良吏投手(広島)と伊藤大海投手(北海道日本ハム)です。

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強運のルーキー

 2人のルーキーが揃って活躍したのが準決勝の韓国戦(4日・横浜)です。まずは伊藤投手。2対2の同点に追いつかれた7回から登板し、2イニングをゼロに抑えました。8回にツーベースを打たれ2死二塁のピンチを招きましたが、投げっぷりの良さはいつも通りで、安心して見ていられました。

 途中、韓国ベンチが「ボールを投げた時に白い粉末が広がり、打者がボールを正確に見ることができない」と抗議する一幕もありましたが、全く動揺する素振りを示さなかったのはさすがです。

 勝利投手となった試合後には、自身のTwitterで、以下のようにしっかりと自らの意見を述べていました。

<僕は手汗が凄く出るのでロジンを沢山触ります。万が一、滑って抜けたボールが打者に当たってしまう方がよっぽど危険でルール的にはフェアだと考えています。もう一つ、国際試合と言うこともあり、僕は指摘されたのが、付けた際の舞ってる粉を指摘されたのかと思い、少し間を開けてくれと言う指摘だと思いました。打者が見えづらいのであれば、一度、ユニフォームで粉を叩くなど、投手側の配慮も必要だと思いました。>(Twitter@hiromi151 21年8月5日)

 周知のように伊藤投手、代表入りが内定していた巨人・菅野智之投手と中川皓太投手の辞退を受け、千賀滉大投手(福岡ソフトバンク)とともに追加招集されました。

「サウスポーの中川の代わりなのだから、ひとりは左の方がいい」という声もありましたが稲葉篤紀監督は、2人ともリリーフができるということを理由に、右を2枚、加えました。伊藤投手に関しては打者目線で「初見では対応しづらい」と語っていましたが、2イニングで3つの三振を奪ったピッチングに、それがはっきりと表れていました。

実力と運

 もうひとりの栗林投手も代わったばかりの9回、四球と暴投で、いきなり無死二塁のピンチを迎えましたが、そこからは堂に入ったものです。続く3人をピシャリと封じ、今大会、2セーブ目(2勝)をあげました。試合は5対2で日本が勝利しました。

 4年に1度のオリンピックに出場するには、実力に加え運が必要です。まして野球やソフトボールのようなヨーロッパで人気の薄い競技は、ひとつの大会を逃すと、次にいつ開催されるかわかりません。今回は新型コロナウイルスの影響もあり、野球、ソフトボールともに13年ぶりの開催となりました。

 繰り返しますが、予定通り東京オリンピックが開催されていたら伊藤投手は苫小牧駒澤大の、栗林投手はトヨタ自動車の寮か自宅でオリンピックをテレビ観戦していたことになります。それを思うと、人生とはわからないものです。

 1984年のロサンゼルス・オリンピック。日本は公開競技ながら金メダルを獲りました。もちろん当時の代表チームはオールアマチュアです。しかし当時はアマチュアでも、オリンピックには無関心のチームが多く、大学や社会人の中には「大事なのはリーグ戦」「都市対抗野球に支障が出る」といって選手派遣に難色を示すところが少なくなかったと、ロス五輪の代表監督・松永怜一さんから聞いたことがあります。

「プロ・アマ問わず、代表チームが日本の野球選手にとって、一番名誉な場所になって欲しい。ずっとそう思ってやっていましたよ」と松永さん。故人、先人たちも含め、日本中の野球人の悲願達成まで、あと1勝です。

二宮清純

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