二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~
2021年7月6日(火)更新
アトランタ、キューバを追い詰めた
4番・松中信彦、執念の同点満塁弾
野球がオリンピックの正式競技に採用されたのは1992年バルセロナ五輪からですが、日本の金メダルは、一度もありません。頂点に最も近付いたのは、銀メダルに輝いた96年アトランタ大会でした。
「勝てないから勝ちたい」
メジャーリーガーの参加しないオリンピックにおいて、我が世の春を謳歌していたのはキューバでした。銅メダルを獲得した92年バルセロナ大会、日本は初代オリンピック王者となったキューバと予選リーグで対戦しましたが2対8で敗れました。
まだオールアマチュアで代表チームを編成していた時代です。このチーム、強打のキューバ打線の目先をかわすため、日本代表の山中正竹監督はサウスポーの渡部勝美投手を先発に立てましたが、主砲のオマール・リナレス選手にホームランを浴び、5回で降板を余儀なくされました。
当時の日本の選手が、どれだけ打倒キューバにこだわっていたか。それはエース杉浦正則投手の次の言葉からも明らかでしょう。
「勝てないから勝ちたい。だけど勝てない。だから余計に勝ちたい」
オリンピックでキューバと2度目の顔合わせは4年後のアトランタ大会です。監督は川島勝司さんに代わっていました。
予選リーグで対戦した日本は、先発の小野仁投手がオレステス・キンデラン選手にホームランを浴びるなど、初回と2回に3点ずつ奪われます。
2回表に1点を返した日本は、5回表に福留孝介選手が追撃の一発を放ち、4点差に迫ります。5回表には打者9人を送る猛攻で6対6の同点に追いつきました。
延長10回表には無死一、三塁から、大久保秀昭選手の併殺打の間に勝ち越しましたが、好投を続けていた3番手・森中聖雄投手が、リナレス選手にタイムリーを浴び、追いつかれてしまいます。最後は森昌彦投手がミゲル・カルデス選手にサヨナラヒットを打たれ、7対8で惜敗しました。
4勝3敗、ぎりぎりの戦績で準決勝に進出した日本はアメリカに計5本塁打を見舞い、11対2で大勝。決勝でキューバと3度目の対戦を果たします。
清々しい銀メダル
8月2日、舞台はアトランタ・ブレーブスの本拠地フルトン・カウンティスタジアム。先発は杉浦投手。どうすれば強打のキューバ打線を封じることができるか。彼はこう語っていました。
「キューバの選手は“空手”のような打ち方をするんです。外に向けて押し出すような感じ、とでも言えばいいのかな。だから、外のボールは踏み込まれてしまったら、かなり遠くまで飛ばされてしまう。つまり、どれだけ踏み込ませないか、ということが勝負のポイントになってくるわけです」
その杉浦投手、リナレス選手、キンデラン選手にホームランを打たれるなど、2回途中でマウンドを降りました。
劣勢の2対6で迎えた5回表2死満塁で打席に入ったのが4番・松中信彦選手です。
キューバの先発はエース格のオマール・ルイス投手。松中選手は3球目の外角スライダーを左中間スタンドに放り込みました。
6対6の同点。日本代表が金メダルに最も近付いた瞬間でした。
川島監督の回想――。
「あのホームランは、打った瞬間にそれと分かる会心の当たりでした。長い野球人生で、あれほど感動し、興奮したホームランは他にありません」
結局、このゲーム、9対13で敗れはしたものの、リナレス選手の他、キンデラン選手、アントニオ・パチェコ選手らメジャーリーガーの一流どころに比肩する実力を持つ“赤い軍団”を追い詰めた日本の選手たちは、試合後、日の丸を掲げ、清々しい表情でスタジアムを一周しました。
なお、このチームからは三澤興一投手、森中投手、川村丈夫投手、小野投手、大久保選手、福留選手、松中選手、今岡誠選手、井口忠仁選手、谷佳知選手の10人がプロ入りし、井口選手、福留選手の2人はメジャーリーグでも活躍しました。
二宮清純