二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~
2021年7月5日(月)更新
0・16秒差でメダル逃した萩原智子
受け入れるのに要した10年の歳月
<個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない>。オリンピック憲章には、そう謳われています。にもかかわらずオリンピック期間中、国・地域別メダル獲得数をメディアが躍起になって報じるのは、国民側に、そうしたニーズが少なからず存在するからでしょう。もちろん、日本も例外ではありません。
「どうして自分は4位」
2000年シドニー五輪に20歳で出場した萩原智子選手は、競泳の女子200メートル個人メドレーと同背泳ぎの2種目で入賞を果たしました。しかし、帰国した彼女を待っていたのは「税金泥棒」という罵声でした。
「オマエ、国の税金使ってシドニーまで行ってきたのに、メダルの1つや2つ獲ってこれないでどうするんだ!?」
年配の男性に、そう凄まれたそうです。メダル至上主義の悪弊と言っていいでしょう。萩原選手が、限りなくメダルに近付いたのは200メートル背泳ぎでした。銅メダル争いは、同じ日本人の中尾美樹選手。ゴールした瞬間は、どっちが先着したかわかりませんでした。
電光掲示板に映し出された順位は3位が中尾選手、4位が萩原選手。その差、わずか0.16秒でした。
振り返って、萩原選手は語ります。
「0.16秒といったら、指の第一関節もないと思います。ほとんど同じくらいにタッチして、ゴール板を押す力が強かったか弱かったかの差です」
――最後は運ですか?
「いや、それが実力です。実は練習でもコーチに言われていたんです。“最後のタッチまで、しっかりやりなさい”と。何度も注意されていたことが、大舞台でできなかった……」
萩原選手は、“0.16秒の敗北”を受け入れ、整理するのに10年の歳月を要したそうです。
「なぜ5位でも6位でもなく、どうして自分は4位なんだろう……」
言うまでもなく、表彰台に上がれるのは上位3人だけです。4位から8位までは入賞とはいえ、注目されることはほとんどありません。その意味で3位と4位の差は、アスリートにとって“天国と地獄”そのものなのです。
入賞者全員の表彰台
メダリストと非メダリストの待遇の違いが最も顕著に出るのは帰国直後です。
萩原選手は言います。
「メダルを逃した人は、飛行機を降りるとそのまま解散します。しかしメダリストは後から降りてきて、記者会見に臨むのです。空港で待っている人たちも、選手たちが出てくるとワーッと騒ぎますが、メダリストじゃないと“まだかぁ”という空気になる。私も何とも言えない気まずい雰囲気を経験しました」
この手の話は、よく聞きます。これはオリンピックの話ではありませんが、2011年夏に行われたサッカー女子ワールドカップ。澤穂稀選手たちがドイツに向け飛び立った時、中部国際空港セントレアで見送った者は、メディア関係者ら、ほんの数名だったそうです。ところが優勝して“凱旋帰国”を果たすと、成田空港にはたくさんのファンと報道陣が詰め掛けていました。彼女たちは一夜にしてシンデレラになったのです。
話をオリンピックに戻しましょう。表彰の方法で萩原選手には「これは、いいな」と思った瞬間があったそうです。アメリカの、ある大学の表彰台はピラミッド式になっており、1位から8位までの選手が横並びになっているというのです。
「このようにメダリスト以外は皆同じ、ではなく、4位は4位、5位は5位というふうに、自分の位置を確かめられたら、私ももっと早く心の整理がついていたかもしれません。それに表彰式というのは、応援してくれた方々にお礼を伝える場だと思うんです。4位以下はその場がなかなかありません。その意味では1位から8位までの表彰台があってもいいと思うのですが……」
指の第一関節ほどの差でメダルを逃した萩原選手らしいユニークな提案です。
二宮清純