二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~

2022年1月25日(火)更新

“雪上のシンデレラ”里谷多英
98長野金、「生涯最高の演技」

 冬季五輪史上、日本人女子金メダリスト第1号は1998年長野大会のモーグルに出場した里谷多英選手です。レース後、放心した表情で「夢じゃないかなァ」とつぶやくほど会心のパフォーマンスでした。

ゴールドのピアス

 モーグルとは、スキー・フリースタイル競技のひとつで、ノルウェー語で「雪上のコブ」を意味します。92年アルベールビル大会から男女とも五輪の正式競技に採用されました。

 ルールとしてはコブが設けられた急斜面を滑り降りながら2カ所でエアトリックを行い、ターン、エア、タイムの3要素を採点し、合計点数によって順位が争われます。

 なお点数配分はターンが50%、スピードとエアが25%(長野大会時点)。どうしても派手なエアに目が向きがちですが、採点的にはターンが占める比重が大きいことを確認しておく必要があります。

 里谷選手にとって長野大会は17歳で出場し、11位に終わった94年リレハンメル大会に続き、2度目の五輪でした。自国開催のアドバンテージがあるとはいえ、これまではワールドカップでも表彰台に立ったことがなく、よくてダークホースといった位置付けでした。それが金メダルですから、さながら“雪上のシンデレラ”です。ちなみに里谷選手は不振が伝えられた02年ソルトレイクシティ大会でも銅メダルを獲っていますから、彼女には4年に1度、心身をピークの状態に持っていくことのできる“体内時計”が備わっているのでしょう。

 列島を驚嘆させた長野の決勝を振り返りましょう。飯綱高原スキー場。3日前の予選を11位で通過した里谷選手は11日の決勝で6番目スタートとなりました。前年7月に54歳で他界した父・昌昭さんからプレゼントされたゴールドのピアスが冬の日射しを浴びてキラキラ輝いていました。

驚異のハイスコア

 このゴールドのピアスが金メダルを引き寄せたのかもしれません。スタートラインについた里谷選手、「緊張感がスーッと引いていく」のが自分でもわかったそうです。普通なら心臓がバクバクして、頭が真っ白になるところですが、里谷選手はどこまでも冷静でした。既にしてゾーンの入り口に立っていたのかもしれません。正確なターンで快調に飛ばし、1回目のエアでは身体をひねってから足を左右に開くツイスタースプレッドを見事に決めます。そして軽快なリズムとスピードを保ったまま2回目のエア。開脚ジャンプは高さといいスケールといい完璧でした。同時に足を左右に開けたまま身体を前に折り、股間にストックを通すコザックという大技まで決めてみせました。

 里谷選手の長野の金メダルと言えば、誰もがこの2回目のエアを思い浮かべるはずです。パフォーマンスが名画の域に達した瞬間でした。最後のターンも完璧に決め、ノーミスでフィニッシュ。電光掲示板に映し出されたスコアは25.06。高得点を目の当たりにして、里谷選手はキョトンとした表情を浮かべました。「自分自身、25点台を出したことがなかったので、これじゃない、と思った」というのです。「何かの間違いじゃないかって……」

 この高得点に驚いたのは里谷選手だけではありません。後に続く10人の選手たちにとって、この高得点は容易には超えられない“高い壁”でした。金メダル候補の選手たちが次々にミスを犯した背景には、25.06という数字による無言のプレッシャーがあったに違いありません。その意味で長野の決勝は彼女にとって、まさに「生涯最高のパフォーマンス」だったと言っても過言ではないでしょう。

 兵(つわもの)どもが夢の跡――。里谷選手の金メダルの舞台となった飯綱高原スキー場は一昨年2月、55年の歴史に幕を閉じました。それでも私たちの記憶の中で“雪上のシンデレラ”は永遠に生き続けています。

二宮清純

関連コラム

データが取得できませんでした

PageTop