二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~

2022年1月21日(金)更新

荒川静香、トリノのイナ・バウアー
夜明けの日本に告げた「愛の勝利」

 2006年トリノ冬季五輪、フィギュアスケートで日本人として初めて金メダルを胸に飾った荒川静香選手をAP通信は「氷上のエレガンス」と称えました。その「荘厳なスケーティング」(同通信)は世界中を魅了しました。

「ゲームという気持ち」

 フィギュアスケートはショートプログラム(SP)とフリースケーティングの合計点で順位が決定します。女子シングルのSPが終わった時点で荒川選手はトップのサーシャ・コーエン選手(米国)と0.71点差の3位。フリーを得意とする荒川選手にすれば金メダルは射程圏内でした。

 しかし、荒川選手によると、それほど張り詰めた意識はなかったそうです。「完璧に滑りたいという意識もありませんでしたね」

 金メダルが目の前にありながら、荒川選手がリラックスしていたのは、本番2カ月前まで指導を受けていたタチアナ・タラソワコーチの次のアドバイスがあったからだと言います。

「冬季オリンピックはウィンターゲームズっていうじゃない? コンペティションじゃなくゲームっていう気持ちで臨んだら」

 この一言で、スッと肩の力が抜けたそうです。

 荒川選手は言います。

「オリンピックまでくれば、どの選手もテニクニック的に大きな差はない。ほとんどがメンタルの勝負なんです。(アドバイスを受けてからは)フリーの時にも最終グループのスケーターたちがどんなメンタルで臨んでいるのか。それを見るのがひとつの楽しみになっていた。それがいい意味で、自分を緊張から解き放ってくれたのかもしれません」

 翌々日、フリー演技。21番目に登場した荒川選手は「トゥーランドット」の曲に乗り、笑顔で3回転-2回転の連続ジャンプを決めました。

 さらには上体を大きく反らせる「イナ・バウアー」。再度、連続ジャンプを決めると、リンクはスタンディングオベーションに包まれました。

「トゥーランドット」への変更

 荒川選手によると、実は中盤でミスがあったというのです。

「3回転ジャンプが2回転になったんです。あれはミスなんですが、私は“まぁ、いいや”と開き直っていました。これが“しまった!”と感じていたら、また次のジャンプも失敗していたと思います。焦ると、どうしてもジャンプのタイミングも狂ってしまいますから……」

 そう言って荒川選手は続けました。

「それまでの私は失敗すると、“どこかでミスを晩回しなきゃ”という気持ちが強過ぎて、逆にミスがミスを呼び、自ら崩れていくということがありました。でも、終わったものは、もう変えられないんですよね。そうであれば、次に向かって集中していった方がいい。そういう気持ちで滑っていました」

 実は彼女の代名詞である「イナ・バウアー」は採点には反映されませんでした。それでも演技構成の中に組み入れたのは、なぜなのでしょう?

「『イナ・バウアー』に関して言えば、それを採用したことで次の演技に影響するのであれば本末転倒になります。すべてを結果につなげるための準備をした上で、最後に“ゆとり”として取り入れたのです。ルールに従って最高の構成をしたら、最後の3連続ジャンプの前に5秒間だけ余裕ができた。“ここで『イナ・バウアー』をやろう。そのために5秒つくったんだから”とニコライ・モロゾフコーチが背中を押してくれたんです」

 五輪直前で荒川選手はフリー演技の曲目を「幻想即興曲」から自らが一番好きな「トゥーランドット」に変更しました。「イナ・バウアー」を生かすためです。これは04年の世界選手権を制した際の曲目でした。プッチーニのオペラ「トゥーランドット」の中の「ネッスンドルマ」(誰も寝てはならぬ)は、王子が夜明けに愛の勝利を信じて歌うアリアです。歌詞には次のようなくだりがありました。

<夜よ、失せろ! 星たちよ、沈め! 夜が明ければ、私は勝つのだ!>

 トリノと日本の時差は8時間。まさに夜明けの金メダルでした。

二宮清純

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