二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~
2022年3月1日(火)更新
2010年バンクーバーでの大番狂わせ
パラアイスホッケー史に残る逆転弾
2010年バンクーバー冬季パラリンピックのアイススレッジホッケー(現パラアイスホッケー)準決勝で、日本がカナダを3対1で破った一戦は、日本冬季パラリンピック史に残る大番狂わせのひとつと呼ばれています。日本は決勝で、米国に0対2で敗れたものの、初のメダル(銀)を獲得しました。
1/10000の勝利
試合前、監督の中北浩二さんは選手たちを前に、こう言いました。
「オマエら、カナダとは10000回やったら9999回は負ける。しかし、10000回のうち1回は勝てる。それが今日なんだ!」
カナダは06年トリノ大会の金メダルチームで、自国開催ということもあり、米国とともに優勝候補の筆頭格にあげられていました。
中北さんが示した作戦は、こういうものでした。
「自陣に引いて、きっちりディフェンスしよう。敵の陣地で労力を使うのではなく、真ん中に立っていれば、向こうは攻めあぐねる。我慢していれば、必ずチャンスは巡ってくる」
先制したのはカナダ。第1ピリオド、パワープレーからFWマーク・ドリオン選手にパックを押し込まれました。
ところがFWの上原大祐選手によると、焦りは全くなかったというのです。
「僕自身は楽しくて仕方がなかった。ほぼ満員の観衆の中、しかも相手は開催国のカナダでしょう。心の中はウキウキしていましたね」
第2ピリオド、日本はカウンターで1対1のタイに追いつきました。FW吉川守選手がプレッシャーをかけ、相手が苦し紛れに出したパスをDF遠藤隆行選手がセンターライン付近でかっさらい、ドリブルで運び、落ち着いてゴール右隅に決めました。これでゲームの行方は全くわからなくなりました。
第2ピリオドが終わり、シュート数こそカナダ14本、日本8本と大きく差をつけられましたが、ディフェンス重視で試合に臨んだ日本にすれば、狙った通りの展開でした。
ヒューマニズムに満ちた風景
中北さんは語っています。
「第2ピリオドを終えて1対1でしょ。カナダにしてみれば“何で日本相手に1対1なんだよ”という気持ちだったと思います。まさか地元で格下に負けるわけにはいかない。もう攻めることしか考えていなかったと思いますよ」
第3ピリオド、カナダの攻撃は熾烈を極めました。それを必死で凌ぐ日本。終盤、カナダが放ったシュートをDF須藤悟選手が体で止め、跳ね返ったところを上原選手が拾いました。迷わずドリブルでパックを前に運び、振り向くと後方にFW高橋和廣選手の姿が見えました。リターンがくるものだと信じて高橋選手にバックパス。高橋選手は相手にぶつかりながらも上原選手にリターンパス。高橋選手が相手DFを潰したことで、目の前にはゴーリーひとり。上原選手は狙いを定めて右腕を振り抜き、勝ち越し点を決めました。
「あんなの何千回練習しても、(決めるのは)無理ですよ」
指揮官が、そう言って舌を巻くほど見事なシュートでした。
この時点で残り時間は1分13秒。もう後のないカナダは、ゴーリーも前に上げ、全員攻撃を仕掛けてきました。日本はパックをキープしながら、時間が過ぎるのを待ちました。
ミスを犯したのはカナダでした。相手FWがDFに出したパスが無人の氷を滑っていきます。上原選手はとどめを刺そうと、そのパックを懸命に追いかけました。自らスティックを振る前にパックはゴールに吸い込まれていきました。まさかのオウンゴールで3対1。指揮官はモニターで確認するまで、状況が把握できなかったそうです。それくらい想定外の得点でした。
殊勲の上原選手が感動したのは、試合後です。アリーナに詰め掛けたカナダのサポーターたちが、スタンディング・オベーションで日本の勝利を称えてくれたというのです。
パラリンピックならではのヒューマニズムに満ちた風景が、そこには広がっていました。
二宮清純