二宮清純コラムオリンピック・パラリンピック 奇跡の物語
~ビヨンド・ザ・リミット~
2022年2月25日(金)更新
18平昌、いきなり転倒、そして…
新田佳浩、残り1.5キロで大逆転
冬季五輪における日本のレジェンドが、1992年アルベールビル大会から2018年平昌大会まで8大会連続で出場したノルディックスキー・ジャンプの葛西紀明選手なら、冬季パラリンピックにおけるレジェンドは、1998年長野大会から今回の北京大会まで7大会連続で出場するノルディックスキー・クロスカントリーの新田佳浩選手です。
的中したワックス選択
18年平昌大会まで6大会連続でパラリンピックに出場している新田選手は、パラリンピックで3つの金メダル(10年バンクーバー大会・10キロクラシカル立位、同1キロスプリント立位。18年平昌大会・10キロクラシカル立位)と、銀メダル(18年平昌大会・1.5キロクラシカル立位)と銅メダル(02年ソルトレイクシティ大会・5キロクラシカル)をひとつずつ胸に飾っています。
3つの金メダルの中でも、37歳で獲得した平昌大会での10キロクラシカル立位のそれは、特に印象に残っています。スタートしてすぐに転倒した時には、思わず天を仰いでしまいました。
新田選手はどうだったのでしょう。帰国後、本人に聞きました。
「会場の悲鳴のような声が耳に入ってきて、転倒した瞬間ヒヤッとしました。ただ1年前に開催された札幌でのワールドカップでも、同じように序盤で転倒していて、それでも2位に入ることができました。だから、あまり焦りはなかった……」
転倒で生じたトップとの5秒差は、2周目(競技は3周)には12秒差にまで広がりました。これは危機的状況です。
しかし、新田選手に慌てる気配はありませんでした。後半になれば、他の選手たちのラップタイムが落ちてくる、と読んでいたのです。
ここで重要になってくるのがスキー板に塗るワックスです。この試合、新田選手は「気温が上がって滑りやすくなる後半の雪質に合わせ、平地や下りよりも、上りを優先的に考えてセッティング」していたのです。このワックス選択がズバリ的中しました。
再び新田選手です。
「最後の1周、特に上りの部分で勝負をかけようと考えていました。最後の周回でコーチから“ここで勝負をかけないで、いつ勝負をかけるんだ!”という声が飛んできて、全力で走り抜きました」
まさかのコース変更
その結果、残り1.5キロを切ったところで、トップのグリゴリー・ボブチンスキー選手(ウクライナ)をかわし、24分6秒8でフィニッシュしました。
実は3日前の1キロスプリント立位で、新田選手は本番直前にコースが変更されるというハプニングに見舞われました。
荒井秀樹コーチの説明です。
「当初は1600メートルのコースで行われるはずでした。それが、競技を始めて間もない選手も参加するということで、最後のきつい上りの100メートルをカットして、1500メートルのコースにしたのです」
そんなことが、あっていいのでしょうか。オリンピックの陸上で1500メートルを、直前になって1400メートルに変更した、なんて話、聞いたこともありません。悪天候が理由ならともかく、後半の追い上げを得意とする新田選手にとっては不都合なコース変更です。
荒井コーチは続けます。
「ルールで認められている範囲の変更とはいえ、私たちは最後のきつい上りに勝負をかける計画で練習を重ねてきたので、この急な変更は大きな痛手でした」
結果的に新田選手は優勝したアレクサンドル・コリャージン選手(カザフスタン)に、わずか0秒8及ばず、銀メダルに甘んじました。その悔しさがあったからこそ、10キロクラシカル立位の優勝で喜びを爆発させたというのです。
新田選手は「挑戦」という言葉を好みます。
「クロスカントリースキーは日頃、練習してきたことが全て試合に出る。だから、自分がどこまでできるのかチャレンジしたことが、結果として出る。つまり“自分への挑戦”なんです。それがクロスカントリースキーの魅力だと思います」
レジェンドが「集大成」と定める北京のレースを見逃すわけにはいきません。
二宮清純