最近でこそ“褒める”ことの重要性を説くスポーツ指導者が増えてきましたが、私の知る限りにおいて、その草分けは“女子マラソンの名伯楽”と呼ばれた小出義雄さんです。
小出門下には、そうそうたる顔ぶれが並びます。1992年バルセロナ五輪銀、96年アトランタ五輪銅メダリストの有森裕子さん、97年世界選手権アテネ大会金メダリストの鈴木博美さん、2000年シドニー五輪金メダリストの高橋尚子さん、03年世界選手権パリ大会銅メダリストの千葉真子さん……。
以上の4人のランナーの中で、学生時代、最も無名だったのは有森さんでしょう。
「アリモリと申します」
「ウン、アオモリか?」
「いえ、アリモリです」
小出さんはリクルートランニングクラブに入部する際の、こんなエピソードを紹介してくれました。
実際に走らせてみると、バネがない上に腰高ときている。
「こんなの獲らなきゃよかったよ」
そう思ったこともあったそうです。
取柄は真面目なところでした。走力に問題はあっても、練習だけは一切、手を抜かない。
日々、真摯に練習に取り組む姿を見ていた小出さん、有森さんに、こう声をかけたそうです。
「おまえは大したもんだなぁ。常に全力で練習している。おまえは心で走っているよ。心が素晴らしい。だから、もっと強くなるぞ」
心で走っている、とは名言です。有森さんも悪い気はしないでしょう。オリンピックのマラソンで、2大会連続で表彰台に立ったのは、日本では後にも先にも有森さんだけです。
小出さんの持論に「褒められて嫌な人間はいない」というものがあります。
今から28年前、私は『夢を力に!』(ザ・マサダ)という小出さんの著書をプロデュースしました。
その際、小出さんに「褒めるところがない選手はどうするんですか?」と問いました。
返ってきた答えは、こうでした。
「そりゃランナーなんだから、走りを褒められるのが一番うれしいでしょう。でも、そうはいかない時もある。そういう時はね、おっ、いい足首してるなとか、手がきれいだねぇ。何でもいいから、とにかく褒めてやるんです」
――足首はともかく、手がきれいだねぇ、と言われても……。
私が訝しがっていると小出さん、ニヤッと笑ってこう続けました。
「人間はね、手を褒めれば、今度もまた褒めてもらおうと思って、一生懸命磨いてくるんです。それこそ、手が真っ白になるくらい磨いてきますよ。時間にすれば、わずか3分か5分くらいでしょう。しかし、その3分か5分が大切なんです。夢中になって手を磨くことで集中力が養われるんです」
――では、手もそれほどきれいじゃなかったら、どこを褒めるんですか?
「そういう場合はね。親を褒めるんです。“キミが一生懸命練習しているのはおとうさんとおかあさんの育て方がよかったんだろうね。一回、ご両親と食事がしたいと伝えておいてくれ”とね。親だって褒められて悪い気はしませんよ。“あの監督はいい人ね、しっかり言うことを聞いて頑張りなさい”となるんです。親を味方につけるのも、指導のひとつなんですよ」
話を聞いているうちに“小出マジック”にかかったのは言うまでもありません。褒めて育てる――。これは若年層の指導現場でこそ重視される指導哲学かもしれません。しかし、小出さん、こう付け加えることも忘れませんでした。
「なあに、褒める時は少々、無責任でもいいんですよ。ただし、叱る時は責任がいります」
これもまた重みのある一言でした。
1960年、愛媛県生まれ。
スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士前期課程修了。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」など著書多数。
理想の生活を
J:COMで
多彩なサービスで暮らしを
もっと楽しく便利に。
J:COMなら、自分にあった
プランが見つかる。