自分の武器に気づいた
恩師・坂本千夏さんの言葉
――高校を卒業後、歌の道を志してミューズ音楽院へと進学した山下さんですが、ミューズ音楽院に通いながらも「お芝居をやりたい」という気持ちが強くなっていったそうですね。
山下:そうなんです。高校時代は「とにかく声を使った仕事がしたい」というざっくりした思いがあって、しかも高校生の頃はちょっとイキった性格でもあったので「音楽、かっこよくね?」っていうノリで、そのまま上京したんですよね。
歌が好き、だけどお芝居も気になる。みたいな状態で音楽の専門学校に2年間通っている間に、やっぱり声のお芝居に対する興味がどんどん大きくなっていることに自分で気づきました。
――なぜ、お芝居の興味が大きくなっていったんだと思いますか?
山下:うーん……周りの影響も大きいのかもしれないですね。友達からは、「大輝って面白い声してるよね」「女の子みたいな高音だよね」「1回聴いたら、遠くからでももうお前の声ってわかるよね」と言われることがあったんです。
「あれ、自分ってそんなに声に特徴があるのかな」と思って、だんだんとそれが自分の武器にできるんじゃないかなという気持ちがしてきました。
――それで、改めて養成所に通い始めたと。日本ナレーション演技研究所(以下、日ナレ)はどうやって決めたんですか?
山下:ミューズ時代、お芝居のことを色々調べているうちにちょうどミューズの先生の一人が日ナレの出身であると知って、話を聞きに行ったんです。そしたら「日ナレならバイトしながらでも通えるよ」という話をその先生から聞いて。
……というのも、養成所と専門学校じゃ学費がぜんぜん違うんです。専門学校に通ったあとだったので、これ以上親に学費を出してもらうわけにもいかないし、それなら、と思って通おうと決めましたね。
でも調べてみると、名だたる声優さんたちが日ナレ出身であることがわかって、それを見て「よし、俺もやるぞ!」という覚悟はもてたような気がします。
――日ナレ時代にはどんな授業があったんですか?
山下:先生によって、教え方は本当にさまざまでした。舞台系の役者さんで基礎の体づくりから教えてくれる先生もいれば、現役の声優さんで、アフレコやショートドラマを模した実践的な授業をやる先生もいる。僕の中では、早く実践的なことを知りたいと思っていたので、現役声優の先生の授業はすごくためになりましたね。
――そのときの教えで、いまの声優としての自分に繋がっていると思うようなものはありますか?
山下:僕にとって日ナレでの恩師と呼べる方が、現在アーツビジョンの先輩でもある坂本千夏さんで、結構ビシバシとはっきりと良いところとダメなところを言ってくれたんです。
「あんたはヘタくそなんだから、自分の声に合わないものを無理にやろうとしなくていい。無理に合わないことをやってもそれは武器にはならない。あんたは高音で面白い声をしているんだから、まずそれを武器として磨きなさい!」と。
――めちゃくちゃはっきり言うんですね…!
山下:そうなんですよ(笑)。でも当時は、「声優って、どんな声でも出せるようにならなきゃいけない。どんなキャラでもできるようにならなきゃいけないんだ」と思い込んでいたので、その言葉ではっと目が覚めたというか。客観的に自分の声を聞けるようになって、自分だけが持っている音域を武器だと思えるようになったんです。
「こういうキャラを演じるなら絶対負けない」「ここなら胸を張って芝居ができる」。自分に自信を持つきっかけというか、僕にとっての武器を発掘してくれたのがすごくありがたかったです。
――そこから、どんなふうにして自分の個性に磨きをかけていったんですか?
山下:自分と同じタイプの声優さん、キャラクターを探して、どういうアプローチで演じているのかをすごく研究しました。当時で言えば、高音で少年系、青春まっすぐ、みたいなのを感じた梶さんや代永さんの作品を観て、「おどおど系はこう」「全力の少年ならこう」というように、同じ音域でもキャラごとに色々な性格があって、アプローチの仕方もそれぞれ違うんだなって知りました。
あとは叫び声。これも運動をやっていたおかげで「叫ぶときの感覚」というのが、意外と自分の中にあったんですよね。
――「叫ぶときの感覚」というと?
山下:テニスって結構メンタルスポーツなので、相手にプレッシャーを与えてミスも誘うスポーツなんですよ。だから、同じ1本でも「今の1本がどれほど大きいか」と相手に感じさせるために、プレッシャーをかける声の出し方とか威圧感を出す張り方とか、もう試合前の「よろしくお願いします!!」の挨拶から、無意識に結構やっていたんだなと後々になって気づきました。
すごく時間は空きましたけど、ようやく「テニスをやっててよかった」と初めて思える瞬間でした。