2026年3月25日(水)更新

WBCイタリア4強とドジャース
キャンパネラ、ラソーダ、ピアザ

 ベネズエラが初めて優勝トロフィーを南米にもたらした第6回WBCで、アウトサイダーながら、下馬評を上回る活躍をしたのがベスト4に進出したイタリアです。1次ラウンドではスター軍団の米国を8対6で撃破し、MLB関係者を驚かせました。

ドジャース(大谷翔平・山本由伸・佐々木朗希所属)の放送予定はこちら

ブルックリンの栄光

 WBCでは、本人が望めば、親が国籍を持つ国、親の出生国の代表選手になることができます。イタリアは30人のロースター中、24人が米国出身者でした。

 ドジャースにおけるイタリア系の名選手といえば、真っ先に頭に浮かぶのが、ブルックリン時代の名捕手ロイ・キャンパネラさんです。

 イタリア人の父とアフリカ系アメリカ人の母を持つ彼は、ニグロリーグを経て1946年にドジャースとマイナー契約を結び、48年から57年の10シーズンでMVP3度(51、53、55年)受賞、ワールドシリーズに5回出場という素晴らしい成績を残しました。通算盗塁阻止率は、実に5割7分4厘です。これはMLBで500試合以上出場した捕手としては歴代最高です。

 55年には、チームとしても自身としても初の“世界一”になりながら、57年限りで引退を余儀なくされたのは、交通事故が原因で下半身不随になってしまったからです。

 ドジャースは58年、本拠地をニューヨークのブルックリンからロサンゼルスに移転しました。つまり、彼は一度もロサンゼルスでプレーしたことがないのです。

 にもかかわらず、59年5月7日、「ロイ・キャンパネラ・ナイト」と銘打たれたロサンゼルス・メモリアル・コロシアムでのニューヨーク・ヤンキースとのオープン戦は、9万3103人の大観衆で埋め尽くされました。この引退試合には、ドジャースで9年間チームメイトだった黒人大リーガーの先輩ジャッキー・ロビンソンさんの姿もありました。

 同じ境遇ながら、2人の性格は水と油だったようです。それを知るには、ディック・ヤングさんという当時、ニューヨークを中心に活躍したスポーツライターのコメントが参考になります。

<ジャッキー君とぼくとうまくゆかないのは、キャンピー(キャンパネラ)のところへいけば野球の話ばかりしておれるのに、君と話をしているとおそかれはやかれ、社会問題に移ってしまうことなんだよ。ぼくは社会問題には全然興味なんかないんだよ>(『ジャッキー・ロビンソン自伝』宮川毅訳 ベースボール・マガジン社)

イタリア代表監督

 とはいえ、ロビンソンさんとキャンパネラさんが不仲だったかというと、そうではありませんでした。同書でロビンソンさんは、キャンパネラさんについて、こう述べています。

<私はキャンピーと個人的に争うことはなかったといえるのがうれしい。彼をいつも尊敬してきたし、尊敬に価する人間だと考えている。私たちの友情は多くの白人記者が目にしたくなかったものの一つだった>(同前)

 いずれにしても、この2人の活躍なくして1940年代後半から50年代中盤にかけてのブルックリン・ドジャースの黄金時代は、なかったと言えるでしょう。キャンパネラさんは69年に野球殿堂入りを果たしました。

 車いすに乗りながらもキャンパネラさんは、同じイタリア系のトミー・ラソーダ監督の要請を受け、スプリング・トレーニングなどで後進の指導にあたっていました。そのひとりが、2016年に野球殿堂入りを果たすイタリア系のマイク・ピアザさんです。キャンパネラさんほど強肩ではありませんでしたが、MLB通算427本塁打のうち、177本をドジャースで放った強打の捕手でした。日本では野茂英雄さんとの息の合ったコンビで知られています。

 ピアザさんは23年WBCでイタリア代表監督を務め、チームを決勝トーナメントに導きました。22年にはイタリア系米国人をイタリアに連れていき、現地の選手との交流を図ることで、本国のレベルアップに貢献してきました。

 ピアザさんはもちろん、今回のイタリア代表の奮闘を、草葉の陰からキャンパネラさんやラソーダさんも喜んでいることでしょう。

ドジャース(大谷翔平・山本由伸・佐々木朗希所属)の放送予定はこちら

二宮清純

二宮清純 スポーツジャーナリスト

1960年、愛媛県生まれ。
スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士前期課程修了。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」など著書多数。

メジャーリーグもプロ野球も。

J:COMなら、スポーツ番組がこんなに楽しめる。