2025年2月26日(水)更新
今年は日本人メジャーリーガーのパイオニア的存在である野茂英雄さんが海を渡って30年の節目の年にあたります。1995年にロサンゼルス・ドジャースに入団した野茂さんは13勝6敗、防御率2.54の大活躍で新人王、奪三振王に輝き、球場には“ノモマニア”と呼ばれる熱狂的なファンが出現しました。
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少年の頃、テレビからよく流れてきた曲があります。 ♪Day-o、day-ay-ay-o(ディ・オー・ディ・エイ・エイオー)で始まるジャマイカ民謡の「バナナ・ボート」です。もちろん少年時代は、それがジャマイカ人の労働歌であるとは知りませんでした。インターネットで調べると、日本では江利チエミさん、旗照夫さん、浜村美智子さんらが歌っていたようです。
野茂さんが活躍するに従い、ドジャー・スタジアムで、この曲をよく耳にするようになりました。出だしの♪Day-o、day-ay-ay-oの部分がHi day-o、Hi day-ay-ay-oに替えられているのです。いわゆる野茂賛歌です。日本語訳は以下の通りです。
<ヒ・デーオ
ヒ・デーーーーオ
NOMOが投げれば大丈夫
ワン・アウト、ツー・アウト、スリー・アウト、チェンジ!
NOMOが投げれば大丈夫
直球、フォークで三振、アウト!
NOMOが投げれば大丈夫
(ヘイ、ミスター監督さん)心配いらない
NOMOが投げれば大丈夫
(ヘイ、ミスター監督さん)まかせときなよ!
NOMOが投げれば大丈夫
ヒ・デーオ
ヒ・デーーーーオ
NOMOが投げれば優勝だ>(Uta-Netより)
この軽快なリズムに乗り、ファンはスタンドのあちこちで踊り始めるのです。やがて、これはドジャー・スタジアムの名物ともなりました。
この一事をもってしても、野茂さんの活躍は、ベースボールという範疇を超え、ロサンゼルスの当時のポップカルチャーになっていったことが窺えます。
ある時、競馬好きの野茂さんに誘われ、ロサンゼルス近郊のサンタアニタ競馬場に行ったことがあります。そこで日系3世のコーリー・ナカタニさんというジョッキーにお会いしたのですが、野茂さん見たさに他のジョッキーも集まってきて、皆が♪Hi day-o、Hi day-ay-ay-oと口ずさみ始めたのは、今となっては懐かしい思い出です。
手元に野茂さんが表紙の「TIME」(1995年7月24日号)誌があります。タイトルはズバリ「Nomo Fever!」です。
後半に次のような記述があります。
<ドジャース・スタジアムに、日系人ファンがどっと押し寄せるようになっている。そこで経営陣は急遽、球場に日本料理のチェーン店をオープンさせた。ドジャース・ギフトショップでは、「野茂ジャケット」が150ドル、「野茂スウェットパンツ」が50ドル、「野茂Tシャツ」25ドル、限定「野茂ボール」15ドル、「野茂ペナント」5ドル、「野茂バッジ」が3ドルで手に入る。
野茂が登板する日には、観客数はたとえば38,311人と、4パーセントもアップする>
このように、ロサンゼルスのみならず、全米に“トルネードフィーバー”巻き起こした野茂さんですが、周知のように1年目の年俸は、わずか10万ドル(当時の為替レートで約960万円)。デビュー以来、パ・リーグで4年連続最多勝(90-93年)に輝いた剛腕に対する評価が、それでした。
それについて野茂さんは、「僕が活躍すれば、僕の後に続く日本人選手の待遇もよくなる。いずれメジャーのスターに負けない年俸を得られる日本人選手が出てくるはずです」と語っていました。実際、野茂さんの“予言”通りになりました。
中国のことわざに「飲水思源」というものがあります。井戸の水を飲む者は、井戸を掘った人の労苦に思いを馳せろ、という意味です。メジャーリーグという井戸を掘った野茂さんの営為を忘れてはなりません。
二宮清純
1960年、愛媛県生まれ。
スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士前期課程修了。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」など著書多数。