2024年2月26日(月)更新
今季から大谷翔平選手と山本由伸選手がプレーするロサンゼルス・ドジャースは、日本人にとって、もっとも馴じみのある球団です。今季は4年ぶり8回目のワールドチャンピオンを目指します。
ドジャースに在籍した日本人選手は、以下の11人です。野茂英雄(1995~1998年、2002~2004年)、石井一久(2002~2004年)、木田優夫(2003~2004年)、中村紀洋(2005年)、斎藤隆(2006~2008年)、黒田博樹(2008~2011年)、前田健太(2016~2019年)、ダルビッシュ有(2017年)、筒香嘉智(2021年)、大谷翔平(2024年~)、山本由伸(2024年~)。
ピッチャーと野手、どちらが活躍したかと言えば、ピッチャーに軍配が上がります。
わけても日本人メジャーリーガーのパイオニアである野茂さんは、ドジャースだけで81勝をあげています。メジャー7球団でプレーした野茂さんですが、ドジャーブルーのユニホーム姿が、一番印象に残っています。
野茂さんがドジャースに入団した1995年のシーズンは、前年の8月から始まった選手会のストライキの影響で、例年より約1カ月遅れの4月25日に開幕しました。
野茂さんがドジャースと契約をかわしたのは2月13日。近鉄バファローズでのラストイヤーとなった94年に肩を故障し、8勝と不本意な成績に終わった野茂さんは、ドジャースでの初年度、3Aのアルバカーキでキャリアをスタートさせる予定でした。
当時の野茂さんのコメントです。
「首脳陣の当時の方針は、僕を3Aのアルバカーキに所属させ、メジャーよりひと足早く開幕するマイナーリーグでの試合で調整させようというもの。その方針に沿って、僕はアルバカーキ用のスパイクとアンダーシャツを用意した。マイナーでじっくり肩をつくり、実績を積み重ねた上でメジャーに上がってやろうと考えていました」
ところが、予想していたよりも早くストライキが終わったことで、首脳陣は方針を転換します。野茂さんの1日も早いメジャーでのローテーション入りを模索するようになるのです。
それについて野茂さんは、こう語っていました。
「マイナーの過密なスケジュールの中で試合に明け暮れるより、メジャーの選手たちと一緒に(ベロビーチで)調整させた方がベターだと判断したんじゃないでしょうか」
4月30日、野茂さんは球団と念願のメジャー契約をかわすのですが、そこに至るまでのテスト登板については、あまり報じられていません。実は野茂さん、オープン戦とマイナーリーグの試合に計4度回登板し、16回1/3で自責点3と好投しているのです。もしこれらの試合で結果が出ていなければ、メジャー昇格はもっと遅くなっていたでしょう。
忘れられないのは、1Aのベーカーズフィールド・ブレイズというドジャース傘下のチームでプレーした4月27日の試合です。相手チームの名前はランチョクカモンガ・クエークス。ランチョクカモンガはロサンゼルスのダウンタウンから東へ車で1時間ほどのところにあるまちで、ワインの名産地だと聞きました。それにしてもチームの愛称が“地震”とは……。さすが“自由の国”アメリカだと妙に感心したものです。
閑話休題。ドジャースのレジェンドであり、日本人メジャーリーガーのパイオニアでもある野茂さんが真に偉大なのは、道なき道を切り開き、獣道をアスファルトの舗道に変えたことです。後輩たちは井戸を掘った先人の功績を忘れてはなりません。
二宮清純
1960年、愛媛県生まれ。
スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士前期課程修了。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」など著書多数。