この夏のパリ・パラリンピックで、日本は歴代3位タイの14個の金メダルを獲得しました。中でも、車いすテニス男子シングルスで表彰台の真ん中に立った小田凱人選手は、種目別では史上最年少だったこともあり、国内外の注目を集めました。
小田選手は「有言実行」の選手です。自らの名前にちなみ、大会が始まる前から「凱旋門の前で金メダルを掲げたい」と語っていました。
自らに発破をかける意味もあったのでしょう。発言通りのことをやってのけたのですから、あっぱれな18歳です。
周知のように小田選手の「憧れの人」はグランドスラム車いす部門で、男子世界歴代最多となる計50回(シングルス28回、ダブルス22回)の優勝を誇る国枝慎吾さんです。パラリンピックでは4個の金メダル(2004年アテネ大会・男子ダブルス、08年北京大会・男子シングルス、12年ロンドン大会・男子シングルス、21年東京大会・男子シングルス)を胸に飾っています。
小田選手は9歳の時に左足に骨肉腫を発症。病床で国枝さんが金メダルを獲ったロンドン大会の動画を観て、「めちゃくちゃカッコいいな」と感動し、「自分もヒーローになりたい」と思い定めたそうです。
「あの人がいたから、今の自分がある」
小田選手は、そう語っていました。
その国枝さんも、自分に暗示をかける名人でした。
「オレは最強だ!」
朝起きると、必ず鏡の前で、そう叫んでいたといいます。
きっかけは、オーストラリア人女性セラピストとの出会いでした。
「まだ世界ランキング12位だった時に彼女に聞いたんです。“僕は世界一になれますか?”って。すると、こう言われました。“世界一になりたいではなく、世界ナンバーワンと断言することを習慣にしなさい”って」
このメンタルトレーニングの効果はてき面でした。以来、駆け足でランキングの階段を上っていったのです。
小田選手も国枝選手に負けず劣らずの“鋼のメンタル”の持ち主です。より正確に言えば、“鋼のメンタル”の製造法を、接しているうちに学び取ったのではないでしょうか。
さて「学習性無力感」という言葉をご存知でしょうか。たとえばスポーツの場合、長期に渡って指導者から欠点ばかり指摘されると、「自分はダメな人間だ」と心を閉ざしがちになり、新しいことにチャレンジしなくなるというのです。
なぜなら、チャレンジして失敗すると、また叱られる。𠮟られるくらいなら、いっそのこと何もやらない方がいいや、となり、まさしく「無力感」に陥ってしまうのです。
もっとも指導者が欠点を指摘するのは、その選手の成長を願ってのことであり、欠点の指摘が間違っているわけではありません。
問題は言葉使いです。「ここさえ直せば、もっとよくなるよ!」「昨日よりは、うまくなっているぞ!」といった具合に、選手の気持ちを前向きにさせる物言いが大事になってきます。
国枝さんと小田選手の関係を見ていて、素晴らしいなと感じるのは、国枝さんは「これから車いすテニス界は彼を中心に回っていく」「いつかやられる日が来るだろうな、と思っていた」などと、常に後輩を立て、成長を促すことで、自分への励みにもしていたことです。こうした国枝さんのポジティブな姿勢は、22歳年下の小田選手にもしっかりと受け継がれています。
1960年、愛媛県生まれ。
スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士前期課程修了。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」など著書多数。
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