元バレーボール女子日本代表の大山加奈さんは、現役引退後、日本女子プロサッカーリーグ・WEリーグの理事に就任するなど、活動の幅を広げています。
バレーボール女子日本代表は、かつて「全日本女子」と呼ばれていました。オリンピックには今回のパリ大会を含め14回も出場しています。
最高成績は1964年東京大会と76年モントリオール大会の金メダル。銀メダルは68年メキシコシティ大会と72年ミュンヘン大会。銅メダルも84年ロサンゼルス大会と12年ロンドン大会で獲得しています。
栄光に彩られた「全日本女子」には「スパルタ」のイメージが付きまといます。64年の東京大会で、チームを金メダルに導いた大松博文監督のニックネームが“鬼の大松”で、ベストセラーになった著書のタイトルが『おれについていこい! わたしの勝負根性』(講談社)だったせいかもしれません。
私が小学生の頃は、『アタックNo.1』『サインはV』に代表されるアニメ、テレビドラマが大人気でした。
今でも『アタックNo.1』の主題歌の冒頭部分は空で歌えます。
〽苦しくったって 悲しくったって
コートの中では 平気なの
女子バレーの練習は「苦しい」ことと「悲しい」ことを前提にしており、「楽しい」とか「うれしい」という感情は、御法度だったのです。
そういえば『アタックNo.1』で男性コーチの本郷俊介は、主人公の鮎原こずえによくビンタを見舞っていました。今なら大問題になるでしょう。
こうした“スポ根ドラマ”に影響を受けたわけではないでしょうが、当時、女子バレーの現場で体罰は当たり前でした。名指導者と呼ばれた多くのコーチが、後にそのことを告白しています。
大山さんは小学2年生でバレーボールを始め、中学からは強豪の成徳学園に進みます。高校(現・下北沢成徳)時代には、キャプテンとしてインターハイ、国体、春高バレーの3冠に輝きました。
強豪ですから、さぞかしビシビシやられたのかと思っていたのですが、「中学・高校の監督は“よいところを伸ばせ”という指導方針だったため、バレーボールを好きになることができた」と語っていました。
そうした経験により、子どもたちにバレーボールを教える際、大山さんは「一番大事なのは基本中の基本だけど、バレーボールが楽しいと思ってもらえること。そこを意識している」と話してくれました。
大山さんは選手たちの振る舞いにも目を向けます。以下の話は、目からウロコでした。
「たとえば練習中、こっちが一言アドバイスするたびに、気をつけの姿勢で“ありがとうございます”と挨拶するチームがあるんです。その気持ちはうれしいのですが、時間がもったいない。挨拶している時間があるのなら、“もっとボールを触ろうよ”と言います。いちいち御礼を言われなくても、子どもたちの気持ちは十分に伝わっているのですから。
よくよく考えると、あれって指導者の自己満足じゃないかと。指導者が“上”で、子どもたちは“下”という意識があり、“教えてやっているんだぞ”というところからきているような気がしてならないんです」
そういう大山さん自身、代表時代は指導者から「レシーブが下手」「気持ちが弱い」と酷評され、自分のストロングポイントを見失いかけたこともあったそうです。
たとえ子どもたちの試合であっても、あるいは学生の試合であっても、最高峰のオリンピックの試合であっても、バレーボールは楽しくなくちゃいけない――。自らの経験を踏まえて大山さんは、そう語っていました。
1960年、愛媛県生まれ。
スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士前期課程修了。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」など著書多数。
理想の生活を
J:COMで
多彩なサービスで暮らしを
もっと楽しく便利に。
J:COMなら、自分にあった
プランが見つかる。