二宮清純コラム 小平奈緒&李相花、オーバルの友情
笠谷幸生を肩車したモルクの思い
2018年2月21日(水)更新

 平昌冬季五輪11日目(2月19日)が終わった時点でこの原稿を書いています。ここまで日本は金メダル2個を含む計10個のメダルを獲得しています。これにより過去最多だった1998年の長野五輪に並びました。だが、国・地域別順位は目下10位。7位に入った長野五輪を上回るには何よりも金メダルの上積みが必要です。

順位は"金本位制"

 というのも国・地域別順位は金メダルの数が銀や銅よりも優先されるからです。極端な話、銅100個よりも銀1個、銀100個よりも金1個の価値が高いのがオリンピックなのです。私はこれを"金本位制"と呼んでいます。長野で日本が総メダル数17個のオーストリア(金3・銀5・銅9)より上の順位になったのも金メダルの差でした。

 とはいうものの、そもそも五輪は国家間のメダル競争の場ではありません。五輪憲章には<オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない>とうたわれています。にもかかわらず、国・地域別順位がメディアをにぎわすのは、日本に限った話ではありません。ともあれ、ここまでのメダル獲得者を改めて記しておきましょう。

◎金メダル
小平奈緒/スピードスケート女子500メートル
羽生結弦/フィギュアスケート男子シングル

◎銀メダル
髙木美帆/スピードスケート女子1500メートル
小平奈緒/スピードスケート女子1000メートル
宇野昌磨/フィギュアスケート男子シングル
渡部暁斗/ノルディック複合ノーマルヒル個人
平野歩夢/スノーボード男子ハーフパイプ

◎銅メダル
髙木美帆/スピードスケート女子1000メートル
髙梨沙羅/スキージャンプ女子ノーマルヒル個人
原大智/フリースタイルスキー男子モーグル

 羽生結弦選手はソチ五輪に続いて男子シングルを制しました。フィギュアスケートでの男子シングル連覇は48年サンモリッツ五輪、52年オスロ五輪を制したディック・バトン選手(アメリカ)以来、66年ぶりの快挙です。

 11月に右足首を負傷した羽生選手は、この平昌にぶっつけ本番で臨みました。米スポーツデータ会社のグレースノート社の予想も当初は金メダルだったのですが、1月末に銀メダルに格下げになりました。本番には間に合わないと判断したのでしょう。

 だが、羽生選手はどこまでも冷静でした。ショートプログラムでトップに立ち、直後のインタビューで、「僕はオリンピックを知っている。元オリンピックチャンピオンなので」と余裕のコメントを口にしました。

 フリースケーティングでは右足首への負担を考慮して4回転ジャンプはサルコーとトーループに絞りました。難度の高いループとルッツを回避しても勝てると判断したのでしょう。想定通り総合力でライバルたちを圧倒しました。

 もう1人の金メダリスト、スピードスケートの小平奈緒選手はレース前から女子500メートルの大本命と目されていました。16年10月からワールドカップを含めて国内外で24連勝中とあれば当然です。ライバルは韓国の李相花選手。10年バンクーバー五輪、14年ソチ五輪を連覇し、自国で3連覇がかかっていました。

鳴りやまない拍手

 全16組で行われた女子500メートル。先に登場したのは14組の小平選手でした。スタート直前に体が一瞬反応したものの、見事に修正しました。最初の100メートルを10秒26で通過すると後半も力強いスケーティングでオリンピックレコードの36秒94をマーク。悲願の金メダルにぐっと近づきました。

 続く15組、李選手が登場しました。アウトスタートの李選手は後半、インコースへ入る際にややバランスを崩しました。これが響きタイムは37秒33。小平選手に0.39秒及びませんでした。

 最終16組のレースが終わり小平選手の金メダル、李選手の銀メダルが確定しました。敗れた悔しさもあったのでしょう、李選手は目を潤ませながらリンクを周回していました。

 そこに近づいていったのが小平選手です。ライバルを慰めるように抱きしめ、「チャレッソ(韓国語で"よくやった")」と声をかけました。「奈緒こそチャレッソ」と李選手も応じました。それぞれの国旗をまとった2人は寄り添ったままリンクを1周。2人を祝福する拍手はしばらく鳴りやみませんでした。

 不意に46年前のシーンを思い出しました。冬季五輪ではアジアで初めて開催された72年札幌大会。主役はスキージャンプ70メートル級の表彰台を独占した"日の丸飛行隊"でした。金メダル笠谷幸生選手、銀メダル金野昭次選手、銅メダル青地清二選手。雪などめったに降らない四国の少年だった私でも彼らのフォームを真似したくらいです。ジャンプ台の代わりに利用したのは校庭にあった滑り台でした。

 感動のシーンは表彰式直後に生まれました。4位に入ったノルウェーのインゴルフ・モルク選手が、笠谷選手をヒョイッと自らの肩に担いだのです。

 モルク選手はこのシーズン、ジャンプ週間(ドイツ・オーストリアで開催されていた国際大会)で総合優勝に輝いていました。もちろん札幌でも金メダルを狙っていました。それだけに4位という順位は不本意だったはずです。しかし、そんな悔しさはおくびにも出さず、地元のヒーローを最大級の表現で称えたのです。スポーツマンシップの鏡のような選手でした。

二宮清純

二宮清純 にのみや せいじゅん

1960年、愛媛県生まれ。スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。
五輪、サッカーW杯、メジャーリーグなど国内外で幅広い取材活動を展開。『プロ野球 名人たちの証言』、『広島カープ 最強のベストナイン』など著書多数。

二宮清純コラムCOLUMN