写真:二宮清純

二宮清純コラムリングサイドの記憶

毎月第2月曜更新

2024年11月11日(月)更新

“人間発電所”サンマルチノ初上陸
馬場を破壊したベアハッグの恐怖

 ジャイアント馬場の生涯のライバルであり親友、といえば「MSGの帝王」と呼ばれたブルーノ・サンマルチノしかいません。現役時代から「ザ・リビング・レジェンド」(生きる伝説)と呼ばれ、2013年にはWWEの殿堂入りを果たしました。

ナチュラルな肉体

 外国人レスラーには、いろいろなニックネームがありますが、「人間発電所」を上回るものはないでしょう。

 サンマルチノは身長182センチ、体重120キロと決して大きなレスラーではありませんでした。身長は、外国人レスラーとしては低い部類です。

 ところが、ひとたび裸になると、上半身、下半身ともに筋肉は鎧のように部厚く、見ているだけで惚れ惚れするほどでした。

 肉体美は肉体美でも、たとえばスーパースター・ビリー・グラハムが造形美なら、サンマルチノはナチュラルで、重厚感に満ちていました。

 個人的な感想ですが、私が会った日本人格闘家の中で、「サンマルチノ的な肉体だな」と思ったのは、大相撲の元大関・魁皇(現浅香山親方)です。

 上半身は、こんもり盛り上がった小山のようで、ギュッと力を込めると、噴火寸前の火山のように、筋肉が鳴動し始めるのです。一度、握手をしたことがあるのですが、大関は軽く握ったつもりでも、しばらくの間、全く右手に力が入らず、痛みが引くのに1週間はかかりました。その気になれば、相手の手を握りつぶすことなど、造作もなかったことでしょう。

 話をサンマルチノに戻します。私が印象に残っているのは、1967年3月2日、大阪府立体育館でジャイアント馬場の持つインターナショナル選手権に挑戦した試合です。私は小学生でした。サンマルチノにとっては初来日。現役のWWWFチャンピオンであるサンマルチノが、わざわざ日本にやってきたのは、ともに若手の頃からアメリカのマットでしのぎを削ってきた“戦友”馬場との友情に応えるためでした。

「髪に触るな!」

 試合は60分3本勝負で行なわれました。1本目はサンマルチノが取りました。ロープに飛ばし、戻ってくるところをカウンターのベアハッグ。馬場はサンマルチノの背中を叩いて必死に抵抗しますが、どうすることもできません。あえなくギブアップに追い込まれました。

 馬場の胴体を太い両腕で締め上げるサンマルチノの上半身は、まるで活火山のようでした。肉体そのものが、文字通り“発電所”と化していました。馬場の長い上半身は、サンマルチノにとっては格好の獲物でした。

 2本目は馬場の日焼けした肉体が躍動します。脳天空竹割りの連打で、サンマルチノから3カウントを奪いました。

 蛇足ですが、サンマルチノは後にカツラをつけてファイトすることになりますが、この頃は後頭部こそ薄くなっているものの、まだ髪はフサフサしています。

 これは生前、菊池孝さんから聞いた話です。ある試合で、サンマルチノの“頭の秘密”について知らなかった選手が、“帝王”の頭に手をかけようとしたところ、ドスのきいた声が耳に刺さりました。

「Don't touch my hair」

 さぞかし、恐ろしかったことでしょう。

 結局、日本での初対戦は1対1の引き分け、3本目は両者リングアウトでした。野球でいえば剛速球対フルスイング。ケレン味は一切なし。白黒テレビの中での両雄の単純にしてダイナミックな動きが、今見ると妙に新鮮です。

二宮清純

二宮清純 スポーツジャーナリスト

1960年、愛媛県生まれ。
スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士前期課程修了。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」など著書多数。

フィギュアスケートも、あの競技も。
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