2024年1月8日(月)更新
“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントの
「足を折った男」キラー・カーン急死
キラー・カーンのリングネームで、主にヒールとして日米をまたにかけて活躍した小澤正志さんが昨年12月29日、自身が経営する東京・西新宿の居酒屋「カンちゃんの人情酒場」で接客中に倒れ、病院に緊急搬送されたものの、意識は戻らず不帰の客となりました。死因は動脈破裂、76歳でした。
モンゴリアン・ギミック
事故が事件になるのがプロレスです。カーンさんがヒールとして一躍名を上げたのが1981年4月13日、ニューヨーク州ロチェスターでのアンドレ・ザ・ジャイアントとの一騎打ちでした。この試合でカーンさんはアンドレの足を“骨折”させ、ヒールとしての地位を不動のものとするのです。
アンドレといえば、日本でのニックネームは「大巨人」。公式プロフィールでは身長7フィート4インチ、体重520ポンドですから、223センチ、236キロです。
アンドレと比べると“小柄”とはいえ、カーンさんも、身長195センチ、体重140キロと日本人離れした体躯を誇っていました。
カーンさん、決して器用なレスラーではありませんでした。だが技のひとつひとつに重みがあり、外国のパワーファイターからも一目置かれる存在でした。モンゴリアン・ギミックは“神様”カール・ゴッチのアイデアだったそうです。ゴッチと言えば堅物のイメージがありますが、ブッカーとしても敏腕だったということでしょう。
カーンさんは最初の遠征先であるメキシコを経て米国に入ります。過去において、モンゴル・ギミックで活躍したレスラーといえば、モンゴリアン・ストンパー、ジート・モンゴル、ボロ・モンゴルなどがいますが、いずれもモンゴル人ではありません。もちろんカーンさんもモンゴル人ではありませんが、アジア系ということもあり、チンギス・ハーン(ジンギス・カン)由来の凶暴性を演出するには、これ以上ない人材だったと言えるかもしれません。米国人が“ピッグ・テイル”と恐れた弁髪もよく似合っていました。
話をアンドレ戦に戻しましょう。いくらヒールとはいっても狙って相手の足を骨折させるような不届き者は、プロレス界にはいません。しかも相手は大スターです。そんなレスラーにケガでもさせたら、プロモーターから干されるのは目に見えています。
響き渡った“悪名”
では、なぜカーンさんはアンドレの足を“骨折”させてしまったのでしょう。
カーンさんの自著『キラー・カーン自伝』(辰巳出版)によると、試合開始から劣勢だったカーンさんは10分過ぎに反撃に転じました。カーンさんの必殺技はコーナー最上段からのニードロップです。この技で多くのレスラーを痛めつけてきました。
カーンさんがコーナーから奇声を発して飛び降りようとした、まさに、その時です。起き上がろうとしたアンドレがバランスを崩し、想定外の方向にその巨体を向けたというのです。
<俺はすでにコーナーから飛んでいたので、急カーブなどできるはずがない。それでも俺は軌道を変えようと試みたが、アンドレが思わぬ方向に動いてしまったので、俺の膝が彼の足首に当たってしまったのだ。
その瞬間、鈍い音がした。レフェリーも慌てていたし、俺も動揺していたので、そこから先は記憶が飛んでいる。記録の上ではアンドレが13分21秒に俺をピンフォールしたことになっているので、最後は何とか試合を成立させたのだろう>(同前)
事情はどうあれ、ヒールにとって“リング禍”は勲章です。その後、「アンドレの足を折った男」としてカーンさんの“悪名”は全米に響き渡るようになりました。人生、どこにラック(幸運)が転がっているかわからないものです。
引退後、カーンさんは新宿区の中井に「スナック カンちゃん」を開き、アルバイトの女の子を使ってこじんまりと営業していました。私もちょくちょく顔を出し、昔話に花を咲かせました。その後は繁華街の歌舞伎町に「居酒屋カンちゃん」をオープンし、多くのプロレスファンでにぎわっていました。大きな背中を丸めるようにして包丁を握る姿が忘れられません。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
二宮清純