写真:二宮清純

二宮清純コラムリングサイドの記憶

毎月第2月曜更新

2022年8月29日(月)更新 [臨時号]

最強にして最凶のヒール、F・V・エリック
“鉄の爪”は「ジョーズ」を先取りしていた

 ヒールの中でも、別格のオーラを漂わせていたレスラーがいます。“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリックです。掌のスパンは32センチ、握力は120キロを超えたと言われています。

初来日でG馬場に挑戦

 エリックは器用なレスラーではありませんでした。必殺技のアイアンクロー以外、見るべき技はなかったように思われます。あとはパンチとキックくらい。ボディスラムもやるにはやっていましたが、あくまでもそれはアイアンクローに移行するための布石でした。

 近年のプロレスは何でもできるオールラウンダーが幅をきかせていますが、昔のエース級はエリックならアイアンクロー、ボボ・ブラジルならヘッドバット、ジェス・オルテガならフライング・ボディプレスといった具合に、必殺技はだいたいひとつでした。

 もっとも、どちらが上で、どちらが下かというわけではありません。プロ野球でもそうですが、昔のエース級は平松政次さん(大洋)ならカミソリシュート、村田兆治さん(ロッテ)ならフォークボール、山田久志さん(阪急)ならシンカーと決め球はだいたい決まっていました。

 しかし、今の時代、ウイニングショットがひとつでは、それを狙いうちされてしまいます。メジャーリーグのパドレスで活躍するダルビッシュ有投手は10数種類もの変化球を投げ分けるといいますが、それはともかく、最低でも決め球に使える変化球が3つか4つなくては高いレベルでは通用しません。

 話をエリックに戻しましょう。初来日は1966年11月です。28日、大阪府立体育館で、いきなりジャイアント馬場の持つインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦します。

 身長209センチの馬場に対し、エリックは193センチ。16センチも身長差があるのですが、エリックは馬場同じくらいの体格に見えました。それだけ威圧感があったということでしょう。

恐怖の「胃袋掴み」

 この試合で、いきなりエリックはアイアンクローを披露します。馬場の額をワシ掴みにし、万力のような手で絞め上げると、馬場の側頭部から“黒い血”が流れ始めたのです。当時はまだ白黒テレビの時代です。馬場の顔面が黒く染まっていく様子は、ある意味、真っ赤な鮮血以上に不気味でした。

 それから何度も馬場と名勝負を展開したエリックですが、彼のクレバーさは画面越しにも伝わってきました。アイアンクローを仕掛ける際、いきなりガバッと額を掴みにいかず、掌をワシの羽根のように大きく広げたまま高い位置で構え、カメラを探すのです。観客の恐怖心をあおりながら、痛ぶるようにして馬場を攻めるそのプロセスは、後年観たスティーヴン・スピルバーグ監督による映画の『ジョーズ』にそっくりでした。そう、エリックは“人食いザメ”だったのです。ジョーズのテーマ曲とともにエリックの試合を観れば、恐怖心が一層増すこと請け合いです。

 アイアンクローの一種として、エリックには相手の胃袋を狙うストマッククローもありました。和訳すれば「胃袋掴み」です。もう、そのネーミングからして恐怖です。エリックは額のガードが固いと見るや、フェイントをかけて胃袋を襲うのですが、これを逃れる術はありません。馬場は苦悶の表情を浮かべて両足をバタバタさせるのですが、見ているこちらが先に気を失ってしまいそうでした。最強にして最凶のヒール――それは“鉄の爪”エリックを措いて、他にはありません。

二宮清純

二宮清純 スポーツジャーナリスト

1960年、愛媛県生まれ。
スポーツ紙や流通紙の記者を経てフリーのスポーツジャーナリストとして独立。オリンピック・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。明治大学大学院博士前期課程修了。広島大学特別招聘教授。大正大学地域構想研究所客員教授。「スポーツ名勝負物語」「勝者の思考法」など著書多数。

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