2022年7月29日(金)更新 [臨時号]
68歳の現役レスラー、藤波辰爾の美学。
「テープは見苦しい」先代若乃花の喝
68歳の現役レスラー藤波辰彌さんには、こだわりがあります。体にサポーターやテーピングを一切、付けないのです。そこには藤波さんなりのレスラーとしての美学が見てとれます。
「昔ながらのプロレスラー」
「僕は昔ながらのプロレスラーです。リングシューズとトランクスだけでリングに上がりたい」
過日、お会いした藤波さんは、自らのスタイルについて、そう話していました。
藤波さんに影響を与えたのは大相撲の第45代横綱・若乃花さんです。現役時代は栃錦さんとともに“栃若時代”をつくりました。
引退後は年寄・二子山を襲名し、2代目・若乃花、隆の里(以上横綱)、貴乃花、若嶋津(以上大関)、太寿山、若翔洋(以上関脇)、二子岳、若獅子、隆三杉、三杉里、浪乃花(以上小結)ら数多くの名力士を育て上げました。
厳しい指導に定評のあった若乃花さんは、力士の土俵上での所作についても、よく苦言を呈していました。1988年2月に相撲協会理事長に就任して以降、その舌鋒はさらに厳しさを増した印象があります。
「その頃ね、先代の若乃花さんが“最近の相撲取りは、すぐにあっちが痛い、こっちが痛いといってはテープを巻いている。あれは見苦しい”と苦言を呈していたんです。僕も同じ考えだったので“その通りだな”と納得した記憶があります」
蛇足ですが、最近の力士でヒザやヒジにテーピングをしていない者は数えるほどです。重量化に伴い、ヒザやヒジ、あるいは腰に負担がかかるのはわかりますが、何やら整形外科の待合室にいるような錯覚にとらわれてしまいます。
プロレスラーも力士同様、ケガは付き物です。まして藤波さんはジュニアヘビー級時代、場外に転落した相手目がけ、リングの中からほとんど水平に飛び込む「トぺ・スイシーダ」を得意にしていました。いわゆる「ドラゴン・ロケット」です。ちなみに、トペとはスペイン語で「衝突」、スイシーダは「自殺」。受ける方も命がけなら、仕掛ける方も命がけです。
“人間魚雷”の衝撃
メキシコ帰りの藤波さんが、この技を日本で初めて披露したのは1978年3月3日のことです。この“人間魚雷”のような技の反応は、藤波さんの想像を、はるかに超えていました。 「これをテレビで見たお客さんは、地元の会場に足を運び、“自分も見たい”というわけですよ。歌手のヒット曲と一緒で、全国どこへ行っても“あの歌が聞きたい”という状態。そうなると、こちらも使命感が出てくる。
でも、正直言って、あの技は怖いんです。リング上から勢いよく飛び込むと、軽く5~6メートルは向こうに行きますから。ロープに引っかかる危険性もある。幅といっても50~60センチくらいしかない。僕の場合、もうイチかバチか、気合いで跳んでましたね」
命中する直前、スルリとかわされてしまったこともあります。そうなると藤波さんいわく「水のないプールに飛び込むようなもの」です。想像しただけで肝が縮み上がります。
「その時の相手はチャボ・ゲレロ。リング下に落ち、転んで立ち上がる時を狙った。ところがヤツはそれを読んでいた。“あり得ないだろう”ということをやってくれた。しかしヤツのシビアな部分が見えたことで、お客さんは“この技に100発100中はないんだ”ということを認識したでしょうね」
ビッグバン・ベイダー戦で痛めた腰をはじめ、満身創痍の藤波さん。それでもリングに上がり続ける理由を聞くと、こんな答えが返ってきました。「ウーン、単に好きなんでしょうね。リングに上がれなくなったら、おそらく何も手がつかなくなってしまう。僕は全てをプロレスからもらった人間ですから……」。天職とは藤波さんのためにあるような言葉だと、再確認した次第です。
二宮清純