2024年1月15日(月)更新
羽生結弦「視覚遮断で強くなる感覚」
空間認知能力を、どう研ぎ澄ませるか
「マジ見えねぇ。全然、端っこが見えねぇ。ここのレッドとブルーの間の距離ってこんなもんでしたっけ? もうちょっとない?」
「7メートルでいま、測っています。仙台のリンクが7メートルなので」
「仙台のリンク的には7メートル?」
「そうです」
「じゃあ、これなんだ。すごく、ここの幅が狭く感じる。……空間認知が、ヤバイな。(会場の観客席を含む)周りが広いからすごく(目印の間隔やリンクが)小さく感じる」
試される平衡感覚
以上はさる1月7日、テレビ朝日で放送された「独占密着! ドキュメンタリー 羽生結弦 RE_PRAY」での、制作スタッフとのやり取りの一部です。
羽生選手が、制作スタッフと会話をかわした場所は、さいたまスーパーアリーナ。昨年11月4日、5日に開催された「RE_PRAY」前のことです。
一連のやり取りを通じて、フィギュアスケーターにとって、空間認知能力がいかに重要であるかが、よく理解できました。
昨年2月26日、東京ドームで「GIFT」を公演した直後のコラムで、私はこう書きました。
<羽生選手は「技術的に言えば、やっぱり平衡感覚は掴みづらかった」とも語っていますが、これだけ天井が高いと、ジャンプの感覚が微妙に狂いがちです。それを22日に氷を張り始めてから本番までのわずかな時間で調整してみせるところに、私は羽生選手の非凡さ、すなわち「GIFT」(才能)を感じてしまうのです。逆説的に言えば、特別な才能(GIFT)の持ち主だからこそ、観客に贈り物(GIFT)を届けることができるのでしょう。この空間認知能力については、また別の機会に考察してみたいと思います。>
冒頭のやり取りの中に、答えのヒントがありました。
羽生選手は天井の高さについても言及していました。天井といえば、2008年北京オリンピック競泳男子メドレーリレーで銅メダルを獲得した宮下純一さんから、こんな話を聞いたことがあります。
目を瞑ってジャンプ
「僕は天井がドーム型のプールが苦手でした。背泳ぎの場合、天井の鉄骨などを目印にしながら自分の位置を把握します。ドーム型は端のスタート地点は天井が低く、プールの真ん中が高くなっています。すると、スタート直後はどんどん天井の目印が変わるので、速く進んでいる感覚を受けるのですが、どんどん天井が高くなるにつれ、目印があまり動かなくなるので、前へ進んでいない気分になる。“あれ? 今日は調子が悪いのかな”と不安になってしまいます。“あの鉄柱が見えたら、スパートする”などの作戦を立てるんですが、コースによって見え方は違う。たとえば3コースで泳ぐことが決まったら、必ず練習でも同じコースで泳ぐようにします」
タイムを争う競泳の選手ですら天井が気になるというのですから、リンク全体を使って高難度のジャンプを次々に繰り出すフィギュアスケーターは、その比ではありません。
自らの空間認知能力を極限まで研ぎ澄ませるため、羽生選手は「目を瞑ってジャンプを跳ぶ練習」に没頭することもあるそうです。
「視覚を遮断することによって、他の感覚がすごく強くなるので、精度が高まる」と羽生選手は語ります。
当然のことながら、こうした練習には危険が伴います。障害物に足をとられて転んでしまうこともあります。
安全のことだけを考えれば、ヒジやヒザにはサポーターを巻いた方がいいでしょう。しかし、それでは微妙な感覚に狂いが生じてしまう。羽生選手はそう考えているのではないでしょうか。
世界最高峰のアイスショーは、一朝一夕に構築できるものではありません。文字通り、命がけの練習が“羽生ワールド”を支えているのです。
二宮清純