2023年1月16日(月)更新
‛72年札幌五輪、“銀盤の妖精”の衝撃
ジャネット・リンは、なぜ愛されたか
“札幌の恋人”
札幌を訪れると、今でも無意識のうちに口ずさんでしまう歌があります。
〽虹の地平を 歩み出て
影たちが 近づく手をとりあって
フォークソングデュオのトワ・エ・モワ(白鳥英美子と芥川澄夫)が歌った1972年札幌冬季五輪のテーマソング「虹と雪のバラード」です。
余談ですが、トワ・エ・モワのお2人にお会いする前、私は白鳥さんも芥川さんも、てっきり北海道出身の方かと思っていました。ところが白鳥さんは横須賀市出身、芥川さんに至っては、私と同郷の愛媛県出身だと聞いて驚いたことがあります。てっきり雪や氷に縁のある方かと思っていたので。
さて、このテーマソングはオリンピックの1年前の1971年2月、NHK「みんなのうた」で放送されて以来、60万枚のレコードを売り上げる大ヒット曲となりました。今でも私と同じか、それ以上の年代の方にとっては、忘れられない昭和の名曲のひとつです。
そして、このテーマソングを耳にするたびに脳裡に甦るのがフィギュアスケートに出場したジャネット・リン選手(米国)の可憐な演技です。彼女こそは、掛け値なしの“銀盤の妖精”でした。
真紅のコスチュームに白いスケート靴。ブロンドのショートヘアに愛くるしい瞳。当時、中学生だった私は自分の部屋の壁に、彼女のポスターを貼った記憶があります。笑顔の横には“札幌の恋人”というタイトルが躍っていました。
当時、フィギュアスケートは氷上に描かれた円の上を課題に基づいて滑り、その技術を競う「コンパルソリー」と、曲に合わせて滑る「フリースケーティング」の2つの総合点で争われていました。
リン選手はコンパルソリーで4位。得意のフリーでの巻き返しに注目が集まりました。
ところが、です。ジャンプからしゃがみ込んでシットスピンに移ろうとした瞬間、尻もちをついてしまったのです。スタンドからは大きな溜息が漏れました。
「Peace and Love」
しかし、それでも彼女は微笑みを絶やしませんでした。何事もなかったようにスックと立ち上がると、表情をゆがめることなく淡々と演技を続けたのです。
アーティスティック・ポイントは5・9が6人、5・8が2人、スウェーデンのジャッジは、パーフェクトの6点を18歳に与えました。
転倒しながら満点というのは、今では考えられない話ですが、当時は芸術点に対する解釈に幅があり、バランスを崩しての転倒さえもが、演技として受け入れられたということでしょう。
<月曜の夜のジャネットが行ったフリーの演技はスポーツが芸術の域にまで引き上げられた希な機会である。
金メダルはとれなかった。しかし、それは世の中というものが不正な所であるからに他ならない……。
彼女のプログラムには躍動がある。クルッと後ろ向きになる瞬間、ブロンドの髪は前方になびき、両腕を広げるこの人は、世の中を愛している少女である。あふれるほどの幸せを神に感謝しているのだろう。彼女の演技を見るものは、それをいかようにも判断できる。
しかし、見えるものは唯一それがこの上もなく美しいということだ>(ロンドン・オブザーバー紙)
ここまで書くと、贔屓の引き倒しという気がしなくもありませんが、リン選手の演技に魅了されたジャーナリストは、この御仁ひとりではなかったはずです。
結局は銅メダル。リン選手は表彰式でも笑みを絶やしませんでした。彼女は最後まで“札幌の恋人”を演じ続けたのです。
そして彼女は選手村の自室に「Peace and Love」と書き残し、思い出の地をあとにしたのでした。
二宮清純