2022年12月6日(火)更新 [臨時号]
羽生結弦に“氷上のミダス王”を見た
11時11分から11時12分へ、の意味
アスリートは数字にこだわります。一流になればなるほど、その傾向は強くなります。プロフィギュアスケーター・羽生結弦選手が初の単独アイスショー「プロローグ」を開催した横浜での初日公演、アンコール前に時計が時を刻む演出があり、11時11分が11時12分に変わるのを待って、ギターが「パリの散歩道」のメロディーを奏で始めました。羽生選手はこの1分間に、どんな思いを込めたのでしょう。
「1」へのこだわり
2014年ソチ冬季五輪、18年平昌冬季五輪で金メダルを胸に飾っている羽生選手は、これまでずっと「1」にこだわってきました。
それは今年8月、自身初の公式YouTubeチャンネルを開設し、初投稿の動画時間が1分11秒間だったことでも明らかです。編集の結果、たまたま1分11秒間になったとは思えません。
思い出すのは、メジャーリーグの事実上の日本人パイオニアである野茂英雄さんです。野茂さんの近鉄時代の背番号は「11」でした。
90年にドラフト「1位」で近鉄に入団した野茂さんは4年連続で最多勝、奪三振王に輝いています。近鉄時代の4年間は、文字通り日本で「1番」のピッチャーでした。
その野茂さんがメジャーリーグ挑戦を表明し、トレーニングを開始したのが95年1月11日、午前11時11分です。そこまで、「1」にこだわる必要があるのか、と思われるかもしれませんが、逆説的に言えば、そこまで数字にこだわるのが一流のアスリートなのです。
ドジャースに入団した野茂さん、このシーズン、13勝6敗、防御率2.54、奪三振236という好成績でジャッキー・ロビンソン賞(新人王)と奪三振王に輝きます。ドジャースでの背番号は「16」でしたが、「1」にこだわった甲斐があったと言えるでしょう。
羽生選手に話を戻しましょう。横浜公演初日終了後の囲み会見で、彼は、こう語りました。
見え方の違いを楽しむ
「みなさんのフィギュアスケートを見る目が変わったと思います。会場の近場から見るスケート、会場の上から見るスケート、カメラを通して見るスケートは全く違った見え方だと思います。その違いも楽しんでいただけたらな、と思います」
翌日にCSテレ朝チャンネル2で放送された公演2日目の映像を見て、羽生選手の言っている意味が少し理解できました。プロジェクションマッピングで氷上に刻まれた文字は、羽生選手の「心の中のジレンマ」を可視化したものでした。
<真っ暗、灯る、暗い水、光を受け止めて、希望、分かっている、想い、ただ滑る、応援、夢、怖い、独り、感情、水面は心、世界、呼応……>
この演出はプロジェクションマッピングを担当したMIKIKOさんの手によるものですが、アイスショーの新しい可能性を感じさせるものでした。
そして冒頭で述べた11時11分から11時12分へと移行する演出です。穿った見方かもしれませんが、競技会でずっと「1番」にこだわってきた羽生選手、数字上の争いを超え、これからは誰も見たことのない新しいフィギュアスケートの世界をみなさんとともに構築していきましょう、というメッセージだったのではないでしょうか。
ギリシャ神話に出てくるミダス王には、触れるもの全てを黄金に変えたという言い伝えがあります。羽生選手には、自らのショーを楽しみにしている人全てを幸せにしたい、という思いがあるのかもしれません。11時11分から出発した羽生選手、到着の時刻は未定です。だからこそ旅は楽しいのです。
二宮清純