
ミラノ・コルティナ2026パラリンピックパラアルペンスキーの放送日程

写真:アフロ
- 冬季パラリンピックの花形競技
- 進化する用具、ガイドとの連携にも注目
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雪山の急斜面を高速で滑り降りてタイムを競う、冬季大会の花形競技。選手は障がいの種類や程度に応じてクラス分けされ、男女別に立位、座位、視覚障がいの3つのカテゴリーで競う。公平性を保つため、選手ごとに障がいの程度に応じた係数が設定され、実際の滑走タイムにその係数をかけた計算タイムによって順位が決定される。
種目は、高速系のダウンヒル(滑降)とスーパーG(スーパー大回転)、技術系のジャイアントスラローム(大回転)とスラローム(回転)、さらにスーパーGとスラロームを一本ずつ滑走し合計タイムを競うスーパーコンバインド(スーパーコンビ)の計5種目が実施される。
アルペンスキーの魅力は、圧倒的なスピード感と高度な技術、そして用具と身体を一体化させる適応力にある。最大の見どころは、雪山の急斜面を時速100km近いスピードで滑り降りる迫力だ。100分の1秒を争うスピードと正確なターン技術、ライン取りが勝敗を分ける。
また、カテゴリーごとの滑走スタイルの違いも注目ポイントだ。立位カテゴリーでは、上肢障がいがある選手がストックを持たずに滑走したり、下肢切断の選手が片脚で滑ったり、義足にスキー板を装着して競技に挑む場合がある。先端が板状でバランスが取りやすいアウトリガーを駆使した巧みな滑走力も見どころだ。
座位カテゴリーでは、下肢に障がいがあるすべての選手が「チェアスキー」を使用する。チェアスキーは1枚のスキー板にシートを備え、フレームとサスペンションによって安定性と衝撃吸収性を高めた専用の用具だ。とくに、高速系種目は時に時速100キロを超えるスピードのなかで滑走するため、高度な身体能力と操作技術が求められ、「氷上のF1」とも呼ばれる。
そして、視覚障がいカテゴリーでは、選手はガイドと無線でつながり、ガイドが前方を滑りながら斜面の変化やカーブの状況、他選手を追い抜く際の位置取りや、勝負どころを伝達する高度な判断力と競技力が必要とされ、オリンピック経験者がガイドを務めることもある。表彰式では、ガイドにもメダルが授与されるのも特徴だ。
写真:アフロ
スキーが盛んな福島県猪苗代町出身。8歳の時、交通事故で両脚の大腿部から切断した。車いすでも取り組めるスポーツを探すなか、母の勧めで翌年からチェアスキーを始めると球速に才能を開花させた。中学3年で世界選手権に初出場し、パラリンピックには高校生ながら2016年のトリノ大会の日本代表に選出。2010年のバンクーバー大会では大回転で銅メダルを獲得した。さらに、2012年から2年連続でワールドカップ年間総合優勝を達成。2014年のソチ大会では滑降で銅メダル、得意の回転では金メダルに輝いた。今大会は、優れたバランス感覚と高度な技術に裏打ちされた切れ味鋭いコンパクトなターンを武器に、3大会ぶりの金メダル獲得を目指す。
写真:SportsPressJP/アフロ
生まれつき左手の指に欠損がある。ラグビー選手だった父の影響で4歳でラグビーを始め、高校3年時には関東選抜の一員として出場した国際大会で優勝。18歳以下の日本選抜にも選ばれた。進学先の日本体育大学でもラグビー部に所属するなかで高い運動能力を評価され、パラアルペンスキーに挑戦。2018年の平昌大会から2大会連続でパラリンピックに出場した。2022年の北京大会では左膝前十字靭帯断裂という大怪我を乗り越え、女子回転(立位)で6位に入るなど、出場した5種目すべてで入賞。3度目の大舞台で、悲願の表彰台獲得に期待がかかる。同い年の村岡桃佳とは、大の仲良し。
写真:SportsPressJP/アフロ
4歳で横断性脊髄炎を発症し、両下肢に麻痺が残り車いす生活となった。小学3年時に初めてチェアスキーで雪上を滑り、中学2年から本格的に競技に取り組み始めた。17歳でソチパラリンピックに初出場し、大回転5位で入賞。2018年平昌大会では、大回転の金メダルを含め、出場した5種目すべてで表彰台に立った。日本代表選手団の主将を務めた2022年北京大会では、滑降、スーパー大回転、大回転の3種目で優勝するなど圧巻の成績を残した。さらに、夏冬二刀流にも挑戦し、2021年の東京2020パラリンピックには陸上競技の選手として出場している。
写真:SportsPressJP/アフロ
4歳からスキーを始める。高校時代はインターハイ出場を目標に競技に打ち込んでいたが、交通事故で脊髄を損傷。リハビリ中に1998年の長野パラリンピックを目にし、チェアスキーに挑戦するようになった。2002年のソルトレークシティ大会でパラリンピック初出場。2015-2016年シーズンはワールドカップ男子座位クラスで総合優勝を果たすなど、長年にわたりトップレベルで存在感を示してきた。前回の北京大会では滑降などで3位に入り、5大会連続6個目のメダルを獲得。競技と並行してチェアスキーの研究開発にも注力し、軽量化や高剛性を追求。7度目のパラリンピックで、悲願の初金メダル獲得に挑む。