泉秀樹の歴史を歩く

泉秀樹の歴史を歩く

桜田門外ノ変と女たち【2019年5月】

桜田門 撮影:泉秀樹

桜田門
撮影:泉秀樹

その雪の日、浪士たちは大老・井伊直弼を襲撃した。彼等は、なぜ暗殺を計画したのか。日本の命運が賭けられたその雪の日には、どんな意味があったのか。
遠い昔と今を結ぶ線を辿る。作家・泉秀樹が歴史の現場を取材し独自の視線で人と事件をプロファイルする!

登場人物プロフィール

横浜・掃部山公園・井伊直弼 撮影:泉秀樹

横浜・掃部山公園
井伊直弼 撮影:泉秀樹

井伊直弼

井伊家は徳川四天王と讃えられた井伊直政を祖とする譜代大名の筆頭の重臣であり、幕府における最高の家格を誇る家柄で、代々彦根藩主をつとめていた。直弼は文化12年(1815)11月、彦根藩・第13代藩主・井伊直中(なおなか)の十四男として、彦根城の二の丸の槻御殿(けやきごてん)に生まれた。直弼の母は、側室のお富で、父が死ぬと捨扶持(すてぶち)で暮らしがはじまった。三の丸・尾末町の小さな屋敷に移り住んだ。この屋敷が「埋木舎(うもれぎのや)」であり、直弼はここで17歳から13年間を過ごすことになる。

第1章 将軍継嗣問題

井伊直弼生誕場所・彦根城槻御殿 撮影:泉秀樹

井伊直弼生誕場所・彦根城槻御殿 撮影:泉秀樹

紀州・徳川慶福(よしとみ)を擁立し、幕府強権体制を確立しようとする南紀派と、一橋慶喜を擁立し、攘夷をめざそうとする一橋派が激しく対立していた。「南紀派」は将軍・家定のいとこで、血縁関係が最も近い紀州・徳川慶福(よしとみ)を次期総裁に見立ており、将軍継嗣問題は徳川家内部の問題として捉えていた。対する「一橋派」は「有力大名連合派」であり,彼等は将軍を朝廷に委嘱されている国家の統治者だと考えていた。直弼は、徳川慶福(よしとみ)を擁立し幕府強権体制を確立しようとする南紀派を支持していた。このような図式のなかで、強大な強権を持った直弼は、まず一橋派の更迭に着手した。土岐頼旨、川路聖謨、鵜殿長鋭らの幕府内部の高級官僚を格下げした。直弼は諸大名を江戸城に集めると、将軍継嗣は家定の従兄弟である13歳の慶福(よしとみ)(家茂)に決定したことを発表した。

 

第2章  安政の大獄

彦根藩邸跡・京都木屋町 撮影:泉秀樹

彦根藩邸跡・京都木屋町 撮影:泉秀樹

駐日アメリカ総領事タウンゼント・ハリスは幕府に対して、清国に大勝した英仏の連合艦隊が余勢をかって押し寄せ、アメリカより苛酷な条約を押しつけることになるだろう、ついては先に日米の調印をすませておき、英仏とはそれに準ずる条約を結べばよいと、恫喝とも忠告ともつかぬ申し入れを行った。直弼は「勅許」を得ないまま、安政5年(1858)6月19日、江戸湾に浮かぶアメリカ軍艦ポーハタン号において日米修好通商条約に調印した。激怒した孝明天皇は、安政5年(1858)幕政改革を指示する勅書を水戸藩に下賜した。いわゆる「戊午の密勅」である。水戸藩の陰謀として直弼は、勅書を幕府に返納するよう迫り、事態は紛糾し、「安政の大獄」の原因となった。これにより、御三家、公卿、公家につとめる老女ら100名以上が断罪された。日本史のなかでは思想犯、理論犯に対する大規模な未曾有の陰湿な弾圧事件だった。

第3章  直弼に愛された女スパイ

村山たかが建てた弁天堂・金福寺 撮影:泉秀樹

村山たかが建てた弁天堂・金福寺 撮影:泉秀樹

直弼の命を受け攘夷派の動きを密かに探っていた女性がいた。村山たかである。村山たかは、文化4年(1807)に生まれた。母は彦根の芸妓、父は近江国犬上郡多賀村の多賀神社に属する磐若院の僧・慈算といわれる。幼い頃から遊芸を習ったたかは、18歳になると、慈算によって彦根藩主・井伊直中の世子・直亮(なおあき)に献じられる形で侍女になり、寝室にも侍った。大老・直弼と、その特別補佐官である長野と、密偵のたか。このトリオによって、勤王倒幕派が一挙に捕縛された。梅田雲兵、頼三樹三郎から、水戸斉昭、松平春嶽まで弾圧された「安政の大獄」である。そして、安政7年(1860)3月、雛節句の朝、直弼は桜田門外で暗殺され、長野も2年後の文久2年(1862)には首を斬られた。自分を愛した2人の男の死を、たかは潜居していた京都・壬生(みぶ)村の八百屋で聞いた、といわれる。

第4章   襲撃グループの母と女

有村次左衛門が切腹しようとしたパレスホテル前

有村次左衛門が切腹しようとしたパレスホテル前

一方、襲撃グループにも女たちの物語があった。その女とは、直弼の首を取った有村次左衛門の母・蓮である。有村次左衛門は襲撃の前の年の安政5年10月3日付で国許薩摩の母に手紙を書いている。「井伊直弼を討ちとることは、今年は難しいですが、これからなにかあったとお聞きになったときは、われわれ(兄・雄助と次左衛門)が先頭を切ってやったことであるとお考えください。天皇が統べるこの国、島津家のためであり、侍冥利につきることです。そのときは母上もお喜び下さいますよう」という内容である。これに対して蓮は母親として次のような返事を書いている。「国事に奔走して一寸も退かないといったことは、しかと承わりました。うれしく思います。わが子の命が明日をも知れぬことを心配する母とは哀れなものですね、と歌に詠み、武士としての勝利、武運を祈って鰹節を送ります」という。

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