泉秀樹の歴史を歩く

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札幌をつくった男 島義勇の生涯【2019年1月】

JRタワーからみた札幌の眺望

JRタワーからみた札幌の眺望

明治のはじめ。未開の地であった北海道の石狩の吹雪と闘いながら原生林を伐り開いて築かれた札幌の町。それは誰がどのように開発して誕生させたのか。遠い昔と今を結ぶ線をたどる。作家・泉秀樹が歴史の現場を取材し独自の視線で人と事件をプロファイルする!

登場人物プロフィール

島義勇

島義勇(しまよしたけ)

義勇は佐賀の下級藩士・島市郎右衛門(25石)と妻・つねの長男として文政5年(1822)9月12日に佐賀城下・西精(にししらげ)(佐賀市与賀町精小路)に生まれた。9歳で藩校・弘道館の蒙養舎に入り、天保7年(1836)蒙養舎を卒業し、ひきつづき弘道館に学んで普通は25歳で卒業するところを23歳で卒業した。たいへん優秀だったということだ。弘化元年(1844)のことで、同じ年に家督を継ぐと、義勇は成績優秀な者にあたえられる3年間の諸国遊学の特典を得て旅に出た。そして、水戸の儒者であり水戸斉昭の側近であった藤田東湖らと交際したという。

第1章 蝦夷から北海道へ改名  札幌の誕生

札幌の街づくりの起点になった創生橋には札幌建設の地碑が立つ

札幌の街づくりの起点になった創生橋には札幌建設の地碑が立つ

「蝦夷」が「北海道」と改称されたのは明治2年(1869)8月15日のことである。その「北海道」の首都である「本府」は、石狩の「札幌」と定められた。札幌という地名はアイヌ語での「サツ・ポロ」(乾いた広い場所)あるいは「サリ・ポロ・ペッ」(大きな湿地がアル場所)から命名されたと言われる。明治政府は2官(太政官・神祇官)と6省(民部・大蔵・兵部・刑部・外務・宮内)を整え、民部省に北海道開拓使が設けられ、初代長官には佐賀藩主であった鍋島直正(閑叟)が就任した。しかし、鍋島直正は就任1ヶ月ほどで高齢病弱を理由に長官を辞し、東久世 通禧(ひがしくぜ  みちとみ)が2代目の長官になって開拓使は民部から太政官に属することになった。

第2章  佐賀藩士の秀才 島義勇を開拓使に任命

第2章  佐賀藩士の秀才 島義勇を開拓使に任命

佐賀藩士の秀才 島義勇

佐賀藩士の秀才 島義勇

明治新政府はロシアの南下政策を恐れていた。事実ロシアの艦船が無断で接岸して上陸し、無法な行動を行っていた。したがって、日本政府はこの未開の地を開発することが、すなわち国防になると考えた。つまり、北海道には軍事・経済・政治に関する地政学的な高い価値、農・漁と鉱物資源などの大きな含み資産があると計算していので、とにかく札幌本府をつくることは急を要した。本府建設の責任者には、開拓使主席判官・島義勇を任命した。初代長官・鍋島直正の期待を荷う、佐賀の秀才である。なぜ島義勇が任命されたのだろうか?それは義勇が35歳のとき直正に蝦夷調査を命じられ、箱館奉行所を訪れたことがあったからだ。箱館を出発した一行は、蝦夷の全海岸線を踏破し、樺太まで巡見し、義勇は『入北記』という絵入りの記録を書いた。これで義勇は「蝦夷通」として知られることになり主席判官に任命されることになった。

第3章 世界一の都市計画 札幌をつくる

北海道神宮

北海道神宮

明治2年(1869)10月(新暦11月)義勇は札幌市街地の区画を決めて極寒と激しく降りつのる雪に苦しみながら原生林を伐り拓き、まず官舎や倉庫などを建築した。11月12日には本部の都市計画を決定し、鑑定や倉庫、病院などの建設が進められ、人々が集まってきた。南北基線は大友堀(創成川)東西基線は銭函道(南一条通り)この両者が交叉する橋(創成橋)が札幌の中心に定められると、たちまちのうちに周囲には銭湯、旅館、飲食店、商店が立ち並んだ。義勇は12月3日には「コタンベツの丘」(円山・札幌市中央区宮ヶ丘)の麓に札幌神社(現在の北海道神宮)をつくり、神祇官から託された守護神を据えた。これを開拓の心の拠りどころとした。義勇は、碁盤の目に区画された京都と佐賀城下を混ぜたような都市計画を実行に移し、「他曰五州第一の都」(将来世界一の都市になるだろう)と自画自賛している。

第4章 佐賀の乱

佐賀城 鯱の門

佐賀城 鯱の門

ところが義勇の考える新しい都市づくり、この計画は一向に進みまなかった。まず、食べるものがなかった。加えて、役所の縄張り争いが続いた。石狩は兵部省の管轄下にあったため、民部省の開拓使である義勇と対立し、二重支配となって開発を妨害しあうことになった。また義勇は長官の東久世とも対立した。明治3年(1870)1月までの僅か2、3か月で義勇が開拓資金の7万両、1年分の予算を使い切ってしまったのである。結局、義勇は罷免され、明治3年(1870)1月19日付をもって帰京せよと命じられた。東京へ帰るとやがて、太政大臣・三条実美の密命を受けることになった。佐賀へ出張して不穏な気配がある不平士族が過激化しないように説得してくるように、という命令でだった。この命令が義勇の運命を大きく揺るがすことになる。

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